駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

言葉の暴力性を自覚する

2012年01月11日 | 町医者診言

                    

 何時の頃からか差別用語として使われなくなった言葉がある。マスメディアが自主的に使用を自粛することによって、使われなくなった差別用語とされる言葉の中には、さほど問題ないと思われる言葉も多い。

 例えば、めくらは目が見えない(人の)ことだしつんぼは耳が聞こえない(人の)ことなので、使用に格別の問題があるとは思わない。唯、悪たれ坊主や未熟な大人が侮蔑の意味を込めて使ったために差別用語扱いになっていったのだろう。侮蔑の意味では実際には目の見える人や耳の聞こえる人に投げつけられ、本当に目の見えない人や耳の聞こえない人には殆ど侮蔑的には使われなかったと思う。いずれにしても卑劣な(人の)使用によって、事なかれと歴史のある言葉が消えるのは遺憾だ。

 こうした本来は格別の侮蔑の意味はなかったと思う言葉を自粛するよりも、人を傷つける言葉を自粛することをマスメディア言論人には求めたい。つい先日、関西のアナウンサー?に隠し子が居たと大々的に報道された。何と嫌な言葉だろう。婚外子が適切な表現だと思う。何の罪もない子供を傷つける言葉を振り回すマスメディア言論人の品性を疑がう。片時もマスメディアの言論は暴力になり得ることを忘れないで貰いたい。

 政治家の失言には前後の文脈をすっ飛ばして敏感に反応するのに、自分たちの使う言葉には鈍感な言論人には読者の厳しい目を向けたい。

 弱きをくじき、強きになびくマスメディア言論人にはペンを持つ資格がないと思う。

            Photo. R.Ogawa

コメント (2)
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