ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

価値というもの

2010年12月17日 | ノンジャンル
真理、真相、真実というものを求める人は多いのだが、
実はこの「真」ということ自体に価値はない。

いかなる普遍の原理原則であろうと、それはそのまま
存在しているのみで、それを発見したり覚知したりすること
それ自体のみでは、価値は生まれない。

どれほどの知識があろうと、知っているということだけでは
何も価値を生み出さないのと同じである。

「真」を知るなら、それをいかに具体的な行動に移し、
応用という知恵に結び付けるかが、価値を生み出すことと
なるのである。

リンゴが木から落ちるのを見て、万有引力を発見したことに
価値があるのではない。
その原理を応用して、人に、社会に寄与する知恵を
発動させていくことが、価値を生むのである。

さらに言えば、その真たる原理を知らずとも、
経験則によって応用の知恵は発揮できる。

知らないよりは、知る方が知恵の門は広く開かれるが、
知る知らないが、根本的な価値の相違ではないのである。

価値というものは、その人の行動、振舞いによってのみ
具体的に生み出されるのである。




継続

2010年12月12日 | ノンジャンル
継続に終わりはない。 つまりゴールはない。
その人の人生とて、死によって終わるわけではない。

潮が満ち、干くことがあり、絶え間なく波は寄せて返す。
それは連続であり、人が意識すれば継続である。

生命も連続であり、人が意識すれば継続となる。
意識するしないに関わらず、それは続いていく。
自らそれを止めるなら、それが後退への転換点となる。

何につけても、し続けていくこと。
その中にこそ、継続の力というものが生まれる。
そしてその力が、さらにし続けていく力となる。

何十年と断酒を継続したからといって、
今飲んでいれば詮がない。

今、一日を飲まないでいる。 それが肝要なのである。
何年も断酒を継続している人であれ、昨日始めた人であれ、
「飲まない」を、今、実行しているかどうかということでは、
何も変わらない。
それが、一日断酒ということなのである。

千里の道も一歩から。
歩みを続け、一歩を重ねていくことには変わりない。
九百九十九里まで来たところで、歩みを止めれば詮がない。

我々の断酒というものは、人生と同じである。
千里を越えて、歩みを止めない、いや、歩んでいこうと
する自身の原点を、ゆめゆめ忘れてはならない。

前を向く。 歩みを重ね続ける。
それが、「この日、この空、この私」なのである。




原点

2010年12月06日 | ノンジャンル
このブログの中で、幾度となく出てきたタイトルである。

私の断酒の原点は2005年6月1日であることは
繰り返し述べてきた。

それを新生と捉えればこそであるが、実は自身の人生の
原点ともいうべきものは、大学時代にある。

自分で言うのもなんだが、青年の純粋さ、ひたむきさ、
理想、情熱、そして若い肉体。
どれをとっても、最も輝いていた時ではないかと思う。

社会に揉まれ、抗いようのない現実と対峙する中で、
いつの間にかその輝きも失ってしまっていた。

身体が衰えたからではない。 精神が衰えたからである。

大学の総会では、まさに輝きの中にいる現役生の姿、
今尚、当時の輝きを失わずに活躍される先輩方の姿を
拝見して、自身の原点を改めて思い出した。

断酒一年表彰の時に頂いた、故院長先生の書が
「原点」であったことに、何故あれほど嬉しかったのかが
わかった気がした。

人は自身の原点に立ち帰り、新たに行動を開始するなら、
迷いなく、いつでも、いよいよ、ますますこれからという
自身の情熱をよみがえらせることができる。

他の誰でもない。 私から始める。 今から始めるのである。




相対性理論

2010年12月05日 | ノンジャンル
過去の記事にも述べたが、女性は男性が十のうち九まで
冷たくとも、一優しければその男性と添い遂げられるで
あろうし、逆に九まで優しくとも、一の冷たさが許せない。

誠に矛盾しているようだが、これが現実である以上、
男女の相対性理論ともいえる。

男女に限らず、人と人との関係は意思の疎通、つまり
コミュニケーションであるから、話ということに約せば
わかりやすい。

どうでもよい話を、いつも一生懸命聞いてくれる人でも、
肝心要の話を聞いてくれなければ詮がない。

なんでもない話はまともに聞かず、流していながら、
肝心な話だけはまともに聞き、受け止めるなら、
その人との関係は紆余曲折があろうとうまくいくものである。

ここぞという話をまともに聞くか聞かないか、あるいは
聞けるか聞けないか。

このあたりにその人との関係の妙というものが
ありそうである。




OB総会

2010年12月03日 | ノンジャンル
大学のOB総会が、この日曜日に開催される。

全国各地、世界各国で活躍する方々が参集するのは難しいが、
それでも遠路より来阪される方も多い。

入学年度が昭和57年で、私は57年会ということになる。

一応、学年幹事ということになっているので、この総会に
向けて懐かしい面々に連絡を取ってきたが、参加の可否は
ともかく、本当に久し振りに話ができたことが何より嬉しい。

電話の向こうの声は、いずれもすぐにそれとわかるほど、
学生時代と変わらない。
同時に、その当時にスッと戻ってしまっている自分がいる。
もう50前の中年だというのに、おかしなものである。

皆それぞれ年は取ったであろうが、会って話をすれば、
気分はキャンパス内である。

そして、多忙な日常の中で忘れてしまっていることを
思い出させてもくれるだろう。

友とは、本当にありがたいものである。