ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

初夢

2010年01月03日 | ノンジャンル
昨年の初夢は、仕事がらみで、尚且つ泥酔している
験の悪い夢だった。

断酒祈願を年頭にされる方々には悪いのだが、
私は、断酒は祈願するものではないと思っている。
そういうことを、昨年も書いたが、断酒は己の決意と
覚悟であり、誓願である。

自分以外の何ものかにその継続を祈るものではない。
家族の立場であればそれは別である。
ただ、事故ということもあるので、一年の息災を
祈ることでその代わりとしている。

さて、今年の初夢である。
なぜか若手のお笑い芸人10人ばかりに集られ、
彼らが飲んで食っての大騒ぎをしているのを眺めている。
支払いの伝票を申し訳なさそうに私のところへ
持ってきたのは、なぜか岡村と矢部ッチ。

仕方ないなと、カードを切って支払いを済ませると、
店長が少し残った焼酎ビンを持ってきて、全部飲んで
しまえば、キープ用に一本サービスするとのこと。
身近にいた3-4人に注いで飲ませ、そのビンを開けた。

もちろん私は飲まない。さて、次へということになり、
正月とはいえ、かなりの出費になるなと気が重くなった
ところで目が覚めた。

支払いは10万円を超えていたから、目が覚めて、
やれやれと胸を撫で下ろした。

夢は夢で、あまり意味を考えても仕方がないが、
ちょっと変わった内容に、思わず何か示唆するものが
あるのかとしばし考えてみた。

どうもよくわからない。夢判断でもしてみようか。

キーワードは、若手、お笑い、おごり、カード、支払い、
お酒、空にする、宴会といったところか。

まあ、お金を落としたとか、失ったとかいうのではなくて、
宴会で皆が楽しく過ごして、自分は支払いを済ませる
ということで、自分の役割をしっかり果たすという吉夢と
考えておくことにする。



三が日

2010年01月02日 | ノンジャンル
三という数の話しである。

この不思議な数は、あらゆる分野で重要な位置を占めている。
三位一体、三身、三徳、三方、三法、三顧、三諦、
三日坊主、仏の顔も三度まで、三年寝太郎、三々九度。。。

仏教では、一身に法身、報身、応身の三身を具し、
即ち一身であることを仏という。

キリスト教では、神とその言葉と、愛が一体であると説く。
父と子と聖霊である。

人として生きるものにおいて、三身なり、三位があるなら、
何をするにせよ、三を根本的な生きるリズムとして捉える
ことができるかもしれない。

時間的に言えば、3時間、3日、3週間、3ヶ月、3年。
それぞれが実質的な変化の周期ではないかとも思える。

睡眠も、4時間よりは、3時間の方が目覚めた時に
すっきりするし、3日坊主というけれど、3日経って
結論が出ているに過ぎない。
3週間継続できれば、3ヶ月の次なる大きな節目を
迎えられるだろう。

それが3年に及べば、石の上にも3年と言われる実証を
現せることにもなろう。

ともかく、数というよりは、生命の律動に即した
ものなのかもしれない。
年明けの三が日も、このリズムに同期して一年のスタートを
切るなら、それが3週間、3ヶ月へと繋がっていく。

一年の計は元旦にありとは言うが、私は大晦日にこそ
あると思う。それをもって、三が日を過ごしたなら、
必ず3の周期に起こる変化に気付くであろう。

まず何かをやると決めたなら、ともかくも3日である。
この倍数において、様々な変化を感じる。
3年もすれば、その実感は確実なものとなる。

3のリズムを常に意識し、そのリズムに
乗りたいものである。



新たな一年

2010年01月01日 | ノンジャンル
明けましておめでとうございます。

新年を迎えるまでは、実感が薄いものの、車や人通りの
少ない道路や、店先など、周りの雰囲気でそれなりに
お正月気分が出てきます。

これも、条件反射のようなものでしょうか。
大掃除を終え、家族で紅白を見ながら食事。
カウントダウンの後は、ジュースで乾杯し、仏前で
一年の息災を祈り、しばし談笑。

何の変哲もないことなのですが、それがひどく特別な
ことのように思えます。

昨年は、男のプライドということに
悩んだ年でもありました。
以前の私なら、飲んで晴れない憂さを晴らそうとして、
また地獄へと向かっていたかもしれません。

今、元気な家族の中で、己の小さなプライドよりも
大切なものがあることを実感しています。

お天気は荒れ模様ですが、皆様も穏やかに過ごせますよう、
お祈りしています。

いつもと変わりない、何気ない一日が、特別な一日と
なるのは、やはり人の心がけ次第ということでしょう。

少し充電して、また全開で始動したいと思います。