ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

約束

2010年01月27日 | ノンジャンル
失う病気とされるアルコール依存症。

その失うことの始まりは、些細なことでも、約束を守れない
ことかもしれない。

時間を守れない。やるべきことをやれない。口にしたことを
やり遂げられない。

誰にでもあることなのだが、これが常に続くと信用を失う。
信用を失うことは、お金を失う、仕事を失うことに繋がる。
つまり、人間関係を損ね、失うのである。

家族という人間関係は、互いを最も大目に見てくれる
場でもあるが、社会的信用を失い、お金を失い、仕事を
失えば、その直接的影響に曝される。

家族を失えば、ある意味心のタガが外れてしまい、
自暴自棄に陥りやすい。
結果、自身の健康も失い、最悪の場合、命をも失う。

こうしてみれば、失う連鎖は密接に関係しており、
なかなかその連鎖の途中で根本原因のお酒を断つことは
難しい。

それでも、お酒の問題に対する気付きと自覚が早ければ
早いほど、失うものも少なくて済む。
断酒している者においても、もっと早く気付いていれば
という後悔の話も多いのだが、それはもともと無理である。

残念ながら、失ってみて初めて気付くことの方が
実際は多い。
この病気の患者が若年化しているのには胸が痛いが、
失うものの大きさという点では中高年の患者の
比ではない。
命さえ失わなければ、文字通り裸一貫でやり直しがきく。

しかしながら、まだまだ若い時代を謳歌したい、いや、
謳歌できるものにとって、断酒するということの大変さは、
同じく中高年のそれとは比すべくもない。

若ければ若いほど、生きる力に溢れているので、
それがより難しくなるのである。
20年、30年と飲み続けて、断酒せざるを
得なくなったものと、5年、10年でそうなってしまった
ものとでは、その意味するところには雲泥の差がある。

中高年にとっては、回復の道というのは、残された人生を
人としていかに生きていくかということであり、
若いものにおいては、文字通り回復の軌道に乗って、
生きる喜びを見出していくことである。

いずれにせよ、回復ということを考えるなら、
事の発端である約束ということを考えねばならない。

失う発端は、病気とはいえ、この人との約束を
ないがしろにしてきたことにある。
ならば、回復の一歩は、この約束をしっかりと守り、
為すために行動する事である。

それは信用を回復させることに繋がり、今度は反対に
正の連鎖へと転じて行く。中高年であっても、仕事も
家族も取り戻し、あるいは、新たに得ることに繋がった
人達も決して少なくはない。

些細なことであろうと、重大なことであろうと、約束は
約束である。まずはここからということを、肝に銘じて
おきたい。それが、初心に返るということでもある。