ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

三が日

2010年01月02日 | ノンジャンル
三という数の話しである。

この不思議な数は、あらゆる分野で重要な位置を占めている。
三位一体、三身、三徳、三方、三法、三顧、三諦、
三日坊主、仏の顔も三度まで、三年寝太郎、三々九度。。。

仏教では、一身に法身、報身、応身の三身を具し、
即ち一身であることを仏という。

キリスト教では、神とその言葉と、愛が一体であると説く。
父と子と聖霊である。

人として生きるものにおいて、三身なり、三位があるなら、
何をするにせよ、三を根本的な生きるリズムとして捉える
ことができるかもしれない。

時間的に言えば、3時間、3日、3週間、3ヶ月、3年。
それぞれが実質的な変化の周期ではないかとも思える。

睡眠も、4時間よりは、3時間の方が目覚めた時に
すっきりするし、3日坊主というけれど、3日経って
結論が出ているに過ぎない。
3週間継続できれば、3ヶ月の次なる大きな節目を
迎えられるだろう。

それが3年に及べば、石の上にも3年と言われる実証を
現せることにもなろう。

ともかく、数というよりは、生命の律動に即した
ものなのかもしれない。
年明けの三が日も、このリズムに同期して一年のスタートを
切るなら、それが3週間、3ヶ月へと繋がっていく。

一年の計は元旦にありとは言うが、私は大晦日にこそ
あると思う。それをもって、三が日を過ごしたなら、
必ず3の周期に起こる変化に気付くであろう。

まず何かをやると決めたなら、ともかくも3日である。
この倍数において、様々な変化を感じる。
3年もすれば、その実感は確実なものとなる。

3のリズムを常に意識し、そのリズムに
乗りたいものである。