ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

やる時はやる

2010年01月08日 | ノンジャンル
よく聞く言葉ではあるが、能動と受動で
その意味は反転する。

能動の場合、自らやるべきと自覚して、断固たる行動に
移すのであれば、そのやる時というのはいつであろうと
自ら覚悟した時である。

受動の場合、やるべき時が来ればやるという、
待ち状態となり、その時がいつなのかは不定である。

どちらが良いということではなくて、対極にある以上、
いずれにおいても、その結果としては良し悪しが分かれる。

自覚の上で即座に行動に移すことは、普通は
良しとされるが、時機というものが重要な場合、
それを逸すると結果は好ましくないものとなる。

その時機を読み、待った上で、それに乗じて行動を
起こせば、予想外の好結果をもたらすこともあり、
待つことと行動を先延ばしにすることを混同して、
機を逸すれば、結果は最悪となる。

理想を言えば、やるべきこと自体を理解した上で、
即座に断固たる行動に移すか、その準備と心構えで
最も効果の高い時機を待つかの的確な判断ができれば
常に好結果をもたらせるであろう。

ここがなかなか難しいところである。

ただ、「やる時はやる」を「だから今は何もしない」
という弁解的な意味で使えば、「あすなろ」と同じで
いつまでたってもやることはない。

何もしないでいて、ある日突然大きなことをやり遂げる
ということはないのである。
その前には小さなことをやり続ける積み重ねが必ずある。

ならば、人に励まされる「やればできる」に
甘えるのではなく、自らが「やればできる」を信じて
積み重ねていく中で、やるべき時に満を持して
断固としてやり切る覚悟を持つべきである。

結果はどうであれ、そこには後悔はないものと信ずる。