今年最後の院内例会でした。
金曜日の夜に接待で遅くなり、昨日は疲れ果てて通院も
出来なかったので、億劫な気分でしたが、今年最後という事で
参加してきました。
いつにも増して様々な深いお話が聞けてよかったと
思っています。
参加すればそれなりの物を持って帰ってこられるのですが、
どうも腰を上げるのがいつも億劫に感じてしまいます。
それが何故なのかを考えるに、やはり指名された時に
どんな話をしようかという緊張感と、その緊張の中、結局
指名されなかった時に感じる物足りなさが原因かもしれません。
自然体でとは心掛けているものの、いざその場に出るとやはり
緊張を禁じ得ません。ただ、その緊張感は常に必要なもので
あるかもしれません。
であれば、参加する前に感じる億劫な気分も、それを感じている
間はかえって良いのかもしれないと考えていました。
今日は奇しくも冬至で、一年で最も日の短い日です。
古代よりこの時期に人々は光を求め、願い、救世主の
誕生すべき時と自然に考えるようになったのでしょう。
私が断酒を決意し、病院へ繋がった日が自身の原点で
あると共に、最悪な時でもあった事を思えば、それは
まさに冬至のような日であったと思えます。
この日から本当に少しずつ、気付かないうちに日が長くなって
いきます。断酒による回復も、本当に少しずつですが、確実に
進んでいく事を改めて思うべき日であると考えていました。
金曜日の夜に接待で遅くなり、昨日は疲れ果てて通院も
出来なかったので、億劫な気分でしたが、今年最後という事で
参加してきました。
いつにも増して様々な深いお話が聞けてよかったと
思っています。
参加すればそれなりの物を持って帰ってこられるのですが、
どうも腰を上げるのがいつも億劫に感じてしまいます。
それが何故なのかを考えるに、やはり指名された時に
どんな話をしようかという緊張感と、その緊張の中、結局
指名されなかった時に感じる物足りなさが原因かもしれません。
自然体でとは心掛けているものの、いざその場に出るとやはり
緊張を禁じ得ません。ただ、その緊張感は常に必要なもので
あるかもしれません。
であれば、参加する前に感じる億劫な気分も、それを感じている
間はかえって良いのかもしれないと考えていました。
今日は奇しくも冬至で、一年で最も日の短い日です。
古代よりこの時期に人々は光を求め、願い、救世主の
誕生すべき時と自然に考えるようになったのでしょう。
私が断酒を決意し、病院へ繋がった日が自身の原点で
あると共に、最悪な時でもあった事を思えば、それは
まさに冬至のような日であったと思えます。
この日から本当に少しずつ、気付かないうちに日が長くなって
いきます。断酒による回復も、本当に少しずつですが、確実に
進んでいく事を改めて思うべき日であると考えていました。
「アル依の冬至(当時)」はもう勘弁。(苦笑)
早く忘れてしまいたい獄寒のような、
忘れてはならない獄寒のような。
陽の光すら嫌いになっていた当時の自分を、
未だに理解できないままでいます。
陽射しの暖かさを感じるたびに、凍えるような
地獄を思い出す事も必要かもしれません。