ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

生きるもの

2009年10月03日 | ノンジャンル
義務だの権利だの、責任だの自由だのというのは、
社会の中で生きるものに課せられ、許され、
与えられるものである。
つまり、何がどうであれ、今現在を生きるものが
中心であるということなのだ。

死せる者にとっては、いずれももはや
何の意味ももたない。
死して名を残し、後の世まで誉れを受けようと、
死したもの自体には何もない。
その人の生き様、死に様に、今を生きる者、
未来を生きる者が学び、生きることを考え、
行動していくのみである。

ここに飲酒運転をして、女性を轢き、そのまま逃走し、
後になって逮捕された少年がいる。

未成年の彼が飲酒し、酔って気が大きくなって
信号待ちの車を襲い、無免許でその車を運転し、
無謀なスピードを出してハンドル操作を誤り、
女性をはねて死亡させてしまった。

女性はまだ高校生である。
単に自分で事故を起こして半死半生になるなり、
死ぬのなら自業自得である。
生き延びたとすれば、馬鹿なことをしたが生きていて
良かったと身内は思うだろう。
まあ、若気の至りと、大目に見る目も周りにあるに
違いない。

だが他人を巻き込めばまるで話が違うはずであるのに、
量刑の差はともかくとして、社会はこの少年に更生の
機会を与え、将来において社会に貢献できる存在と
なることへの希望を持つ。
この少年は事実として生きているからである。

この少年の弁護士は言うだろう。まだ未成年であること。
過ちを犯しやすい若い時期であること。酔っていて、
ものの分別をつけられない状態であったこと。
事故当時の記憶も定かではないこと。
それ以来、毎日涙を流して悔やみ、反省していること。
家庭環境に問題があったこと。その環境から彼を
救えなかった社会にも責任があること。
ましてや、未成年にお酒を提供した店にも
問題があること等々。

既におわかりと思うが、社会は生きている者に
対してのみ存在しているのである。
逆に言えば、生きている者がいて、初めて社会が存在する。
彼と同じように、未来への大いな可能性を秘めた
若い命が失われたことなど、済んでしまった事で、
無かったかのようである。

涙を流して悔やんでいるのは、彼女の為ではない。
自分のしたことを悔いて泣いているだけである。
自分の為に泣いているのである。
それはそのまま、自分は生きていきたいという本音が
底にあることの証明でもある。

遺族の悲しみも、悔しさも、怒りも、加害者が理解など
できるはずがない。
許しを乞うのは、遺族に対してではなくて、被害者に
対してなのだが、それはもはやかなう事はない。

理解できるとするならば、何の関係も面識もない人間に、
それがいつとも知れぬ中で、突然命を奪われる恐怖に
苛まれ続けるしかないのではないか。
単に死刑というだけでは、遺族は納得できないであろう。

死刑という判決を望むのは、その恐怖の中で少しでも
己の罪に向き合い、被害者のみならず、遺族の想いに
心を重ねる時間があるべきと考えるからであろう。
その時間は、そのまま遺族の苦悩と葛藤の時間とも
なるのである。

しかしながら、この状況では、現実的には
死刑などあり得ない。
そして、加害者にも真の悔恨と反省など
求めることすらできない。
酔っていて記憶がないのである。

被害者の想いはもはや聞く術がないが、遺族にすれば
これから常に癒えない傷に塩を塗る毎日、いや、
一生となるのである。

また、彼にしても、死刑とはならずとも、
生きていく以上は社会においてその十字架を
一生背負うこととなる。
いずれも不幸ではあるが、やはり社会は死せる者の
為ではなく生きる者の為に存在しているのである。

さて、以前にも少し触れたが、因果律で言うならば、
他人の命を奪ったものは、自らの命でそれを贖うしか
ないのである。仮に死刑を免れたとしても、その因が
消えることはない。社会の規範は、人が作った
ルールであり、そのルールは因果律とは関係ない。
自身の命に刻まれた因は必ず果となって表れる。

彼が命を落とすことになるのか、将来において、
彼が自分の娘を同じように失う事になるのか、
それは誰にもわからない。
死んだ者の怨念などという馬鹿げた事を
言っているのではない。
言葉にせよ、想いにせよ、物理的な事にせよ、
人を傷つけたなら、また自分も傷つけられることを
覚悟せねばならないのである。

その覚悟があって人を殺したなら、潔く死ねばよい。
覚悟どころか、社会に胡坐をかいて権利だの自由だのと
喚く輩こそが、この負の因果の連鎖を招くのである。


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2 Comments

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Unknown (haru4444)
2009-10-03 23:24:37
個人的には、
他人一人殺したのなら、死刑で良いと思います。
強姦罪なら男の一物を切り取ってしまえば良いと思います。

今度の裁判員制度で、
過去の量刑にとらわれない、判断を望みますが、
「求刑」自体が、過去の量刑に基づいているのが、
何とも歯がゆいような気がしています。
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Unknown (jetlinks)
2009-10-04 00:08:56
我々が償いということを口にするなら、
苦しんでも辛くても、生きていく中に
その糸口があるのでしょう。

病気だから、飲まずに頑張っているから、
と言うのはまだまだ自分のことだけなのです。
返信する

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