ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

引き分け

2018年06月25日 | ノンジャンル
サッカーのワールドカップで深夜まで賑やかな事だが、
私はとんと興味がない。

何より、大勢の人が集まって騒然とする場が
大嫌いである。

チームのサポートとはまるで関係ないバカ騒ぎも
あるようだが、サポートするなら、形勢不利、
リードされている時こそ盛り上げたらどうか。

勝負の世界は結果が全てである。勝てば全てを
手にし、負ければ淋しく佇む。どちらの時に
本当にサポートが必要なのか。

仕事面では、同じく、利益を上げたか、損失を
出したかの二極である。
その過程や状況などはともあれ、結果が全てなのは
変わりない。

日頃からそういう環境下にあるものが、
プライベートにまで、勝ち負けを
持ち込みたくはない。

無論、二極である以上、引き分けはない。
一円でもプラスなら勝ち、マイナスなら負けである。

今回のゲームは引き分けとなった。
これは結果であり、事実であり、変わらない。

ゲーム内容としては、相手チームに2度リードを
され、2度追いついての引き分けである。
勝ち点が付くとはいえ、まるで勝ったかのような
騒ぎだった。

逆に、こちらが2度リードして、相手チームに
2度追いつかれての引き分けだったなら、様相は
まるで異なっていただろう。
よく頑張ったという称賛も、真逆の批判となって
いたかもしれない。
結果は、同じなのにである。

人に約せば、後悔か、ほぼ満足かの違いである。
リードを守り切れば勝てたのにという後悔か、
諦めずに頑張って追いついたという満足か。

この差は、人が生きるという点で、実は極めて
大きい差なのである。

事実としての結果が同じでも、そこに至る内容に
よって、未来の開け方は自ずから異なるであろう。

結果は出た瞬間に、過去のこととなる。
人が生きる上では、結果はやはり全てでは
ないのである。





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