ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

太陽の塔

2018年11月24日 | ノンジャンル
2025年万博開催地が大阪に決まった。

1970年開催の時、私は小学生だった。
動く歩道など、高度成長期の当時における万博は、
子供たちが思い描く未来予想図を凝縮したかのようで
あった。

一番人気は今でいうドームのようなアメリカ館と、
天空を切り裂くかのようにそびえていたソ連館
であった。

待ち時間が長く、残念ながら両館ともに入場できな
かったが、太陽の塔の衝撃的な姿にひどく感動した
記憶がある。

確か、太陽の塔の貯金箱をもらった覚えがある。

昨夜から開催決定に、街は沸いているが、どうも
私は素直に喜べない。

開催地の夢洲は、地元でもある。
これから、開催へ向けて工事が進み、中断されていた
地下鉄の延伸工事を含め、交通・輸送の整備も
進むだろう。

夢洲自体は、海上輸送貨物のコンテナヤードがある
くらいで、孤島に近い場所なので、工事自体は
急速に進められるだろう。

開催となれば、普段、誰も来ないような場所に
大勢の人々が来場し、賑やかになることも
間違いない。

閉会後の撤去や取り壊し、IRの一環とした再生も
容易であろう。もともと、オリンピック招致の為の
埋立地であるからだ。

若い世代にとっては、私たちの当時のように、
大阪の、いや、日本の未来を夢見ることのできる
一大イベントであることに変わりはないかも
しれない。

だが、話題となるのは、経済効果といった、
いわゆる金、金、金、の話ばかりである。

実は、この傾向に嫌悪感を持っていたのは、
オリンピック招致の時以来である。

つまりは、金で夢を買おうというのか、夢を金に
しようというのかという嫌悪感である。

太陽の塔は、初の万博の象徴でありながら、
その設置の問題から、施工期間がかなりタイト
であった。

開催期間中だけ持てばよいということでの
突貫工事だったが、工事にあたった人々の職人魂は、
初めから手抜きともいえる工事をすることを
許せなかった。

結果、工期に間に合わせつつ、何十年と持つ堅固な塔を
完成させたのである。

周りに何もなくなった後、一人立つ太陽の塔を
見るたびに、この塔こそが万博であったと思った
ものである。

願わくは、2025年の万博にも、この太陽の塔たる
べきものがあれよかしと、心から思うのである。

未来は、言葉ではなく、その心に植えられる種のような
ものであるからだ。





最新の画像もっと見る

4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (はる)
2018-11-28 01:32:11
前の万博のスローガンは「人類の進歩と調和」であった。さ
て、'25年のスローガンは?

未来などは出来るだけ遠くへ押し退けておけばいいんだ。

太陽の塔の顔ね。実は4つある。塔の上、表、裏、そして内部。内部のだけが紛失されている。工事のどさくさで紛失太郎はそれでも丹下に交渉して大屋根二穴を開けさせた。

人類が、大気汚染、プラゴミ対策に終われている今、何が未来志向なんだ!

大阪にいや、日本に危機が迫ってる時、なんという能天気なんだろうね。
返信する
Unknown (jetlinks)
2018-11-28 10:58:06
閉会後を考えると、夢洲が東京の
夢の島の轍を踏まないようにと
祈るばかりです。
皮算用は、いつもはずれますので。^^;
返信する
Unknown (てつ)
2018-12-02 20:38:57
万博の後はカジノへと繋がっていくのでしょうか。
夢洲、夢を見る人々が増えそうです。
返信する
Unknown (jetlinks)
2018-12-03 18:06:30
夢の付く地名って、あまり良い
イメージはありません。 ^^;
返信する

post a comment