ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

月例会

2009年09月20日 | ノンジャンル
ここのところ通院もままならず、病院にもご無沙汰して
いたのだが、ようやく昨日、院長先生にお目にかかった。
今日は月例会とのことで、これも本当に久し振りに出席した。

顔ぶれは、見知った人もいれば、まるで知らない人もいたが、
何より驚いたのはその人数である。
いすの列を増やして、まさに部屋びっしりの状態であった。

丁度私が病院へ繋がった同じ頃に初診であった人も
数名いたが、皆失敗を繰り返し、改めて仕切り直しという
話をしていた。

例会の内容は変わらないが、その時その時が特別で、
赤裸々な話が聞けるというのは貴重である。
様々な方の様々な話は、他人事であって他人事ではない。

いつになく時間に余裕があって、最後の院長先生の話を
たっぷりと聞くことができた。

まだ依存症という言葉もなく、アル中と言えば隔離入院
させるしか治療の方法はない、いや、退院すればまたもとの
木阿弥なのだから、治療自体が不可能であるということが
常識であった時代のことである。

ある入院患者は、身体も回復し、帰る家もあり、家族も
失っておらず、院長はもう退院されたらどうかと
進言したそうである。

その患者は、いや、もう少しここに居させて貰いますと
言って入院を続けたらしい。
普通はいつ退院できるのか、いつまでこんなところに
閉じ込めておくのか、早く退院させろと言うのに、
この患者は自ら居させてくれと言う。

彼は、病院でこの病気の現実を自分の目で確かめて
いたのである。
もう二度と飲まないと言って退院していきながら、すぐに
自分では歩けない状態になって病院へ帰ってくる人達を
自分の目で目撃し、その現実を確かめ、この病気の本質を
自ら体得しようとしていたかのようである。

彼が退院した後、再び入院することはなかったという。
理論や情報だけでなく、自ら目撃した現実を直視し、
結局飲まないと決めるのは自分自身であることを芯から
悟ったのであろう。

さて、院長先生はそういう人を見て、不可能と言われてきた
依存症の通院治療を考えられたそうである。
それが先生の初心とも原点とも言えるのであろう。

自分がトイレに行きたいのに、他人に代わりに行って
もらったところで詮がない。
断酒もそういうことであり、自助グループというのは本来、
その入院患者のように、お酒の害や、その害に毒された人、
そしてその害から現実に回復し、立ち直った人達を目撃し、
自分にも出来るという確信を得る場ではないか。

家族のため、人のために断酒をしていると言うのは
いい格好であり、自分のためである、自分が生きたいから
断酒しているのだと話した人がいた。
謙虚で素直な発言である。

私の原点は、子供達に、自分たちの父親がお酒で
おかしくなり、自殺したなどという一生の負い目を
もう少しのところで負わせるところであったという
一点である。

そして私の初心は、自ら病院へ駆け込むに至った経緯と、
その時の自分の状態、処置後の制御不能の
醜態の記憶にある。
未だにその記憶がぼやけることはない。
むしろ年を追うごとに鮮明になっていくような気さえする。

この原点と、初心がぶれない限り、私の断酒は継続して
いくであろう。

断酒5年まで、9ヶ月を切った。紆余曲折の5年では
あるだろうが、それでも、ゼロに戻れるとすれば意味がある。
ゼロ復帰の後は、断酒自体がそのままプラスとはならない。
いかに生きるかによって、プラス、マイナスが自身の上に
表れていくだけである。

改めて身の引き締る思いで、大切なお話しを胸に抱いて
帰ってくることができたのである。



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2 Comments

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Unknown (haru4444)
2009-09-20 21:32:52
良い意味での「プライドの高さ」が、
兄ぃの断酒を支えているんですね。^^)

人それぞれの「底」は違うのでしょうが、
「もう二度と戻らない」と思わせるだけの、
「底付き」が、アル依には必要なのかも知れません。
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Unknown (jetlinks)
2009-09-20 23:57:19
直接的にせよ、間接的にせよ、本人が実感し、
決めたことでなければ続きません。

私はプライドばかり高くて何もできない
情けない人間ですが、少なくともプライドに
見合う行動を今は心がけています。
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