ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

送迎

2009年08月02日 | ノンジャンル
人の旅立ちを見送り、帰還を出迎えるのは、やはり人で
なければならないだろう。

船で海外出張という時代ではないが、飛行機で旅立つとなれば、
見送りに会社の人達や、家族など一同が見送りに空港へ
集まるといった時代もあった。

私もその時代の人間ではないが、それでも出発の前日には
会社の各部署の人達から「気をつけて」と声を掛けられた
ものである。

子供が小さい頃は、空港まで出迎えに家族が来ることも
あったが、今では家を出る時、家に帰った時が見送り、
出迎えとなっている。

いつもEXIT席を取れたらお願いするのだが、今回は窓側に
取れ、出発前のひと時を、窓の外を眺めながら過ごしていた。
駐機場から飛行機を押し出したのち、地上員がきちんと直立し、
飛行機の出発を手を振りながら見送る姿が見えた。

そして飛行機が自力で滑走路へと出発する時、彼らは深々と
頭を下げていた。
何故かはわからないが、その姿に胸が熱くなって、目が潤んだ。
飛行機の無事な運行と帰還を願う彼らの想いが、直に伝わって
くるような気がした。

なんだか、とても嬉しい気分になり、頑張ってくるぞという
気になった。大袈裟に言えば、その地上員の姿が、
特攻隊員の出撃を渾身の力で支え、手を振りながら見送る
整備士の姿にかぶさって見えたのである。

この巨大な機体を、小さく見える地上員が手を振り、
頭を下げて見送る姿に、ひどく感動した。

緊張のフライトを終え、着陸した飛行機を最初に出迎えるのも
地上員である。
所定の駐機場所では、方向転換のポイントなど要所に地上員が
配置され、到着便を出迎える。

マーシャラーと呼ばれる誘導員がパドルを使用して飛行機を
所定位置まで巧みに誘導する。
機外カメラのついている機体であれば、その様子を機内から
見ることもできる。

彼らの出迎えを見るたびに、何とも言えないホッとした気分に
包まれる。やはり、人を見送り、人を出迎えるのは、
人でなければならない。

シンガポールだったか、この誘導を電光板で行っている
空港があった。これは、いかに技術が進もうとも、なんとなく
淋しいものがある。

まして、コックピットにいるものからすれば、尚更、
機械ではなく、人の見送りと、出迎えが必要であるように
思えるのである。




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2 Comments

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Unknown (はる)
2009-08-04 03:40:30
そうえばそうですね。JRでも、「お送りの方は、黄色の線から、お下がりください。なんていう「アナウンス」も聞かないな。

たぶん、無事かえることが、何の保証もなく信じ込まれているからでしょう。

昔は、トラヴェルはトラブルであった。また出征兵士を見送る、母・父の内面は、どうだったろう?

死出の旅立ちになるかもしれぬというのに「万歳・万歳は、ないだろう。無理して作り笑いをして、内面を見せない。見せたら国族・非国民。

つまり、心なのである。送られえる人が「ああ彼が、ああ彼女がその場にいなくても、見送っているだろうな」

姿は見えなくとも、送られる人のこころ
の中には、「おくりびと」の存在を感じている。

しかし「お気をつけて」は、もう死語なのかしら。
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Unknown (jetlinks)
2009-08-04 10:42:01
「いってらっしゃい。」
「気をつけて。」

普通に、毎日かけられている言葉です。
それを幸せと感じられる自分でありたいと思います。

飛行機が到着して、降機したときに、地上職員が
「お帰りなさいませ。」と出迎えてくれるのが、
なんだかほっとした気分にさせられます。

この言葉は、まだ若い女性職員が言ったとすれば、
「違うんだよな?」と感じます。 ^^

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