ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

本然の意志

2012年11月07日 | ノンジャンル
救える命が目の前で消えようとしているのを
見過ごすことはできない。

これは、医師の原点ではあるだろう。

病気やけがで苦しんでいる人を放ってはおけない。
できれば、そういう人ばかりに医師の道を志して
頂きたいものである。

だが、医師の願いと志をもってしても、如何とも
し難いのは、本人の生きる意志である。

病気を治そう、けがを治そうというのは、根本的には
本人の生きる意志がそこにあるからである。

何度も繰り返し述べてきたが、アルコール依存症、
あるいは薬物依存というのは、この生きる意志を
麻痺させてしまうのである。

飲めば死ぬかもしれないとわかっていて、飲むのが
この病気であり、自殺行為であると、残された理性が
警告しても、抑えられない衝動がその人をして
死へと向かわしめる。

もはやその衝動の真っただ中にいる人にとっては、
飲んで死ぬしかないのである。

ただ、侵された脳にはなくとも、一個の生命として、
前へ進む、生きるという本然的な意志が厳然と存在する。

いざ、現実的に生死の境に屹立した時、たとえ一分でも
一秒でも生きようとするのが、その生命の本然的な
意志なのである。

そのギリギリのところで、本然たる生きる意志に
気づくか、気づくこともできない心神喪失状態か
によって、現実の生死は決まってしまう。

残念ながら喪失状態のまま死んでいく人が多いのが
この病気でもある。

いずれにせよ、自身の生きたい、生きる意志に早く
気が付いたものが、早く回復への道を歩めることとなる。
無理に周りがその人をして、回復の道に乗せることも
できなければ、その本然的な意志を気づかせることも
できない。

意志の問題というのは、理性と思考の意志という
ことではなく、その人の本然的な意志に気づくかどうか
という問題なのである。



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2 Comments

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Unknown (レナ)
2012-11-07 20:15:14
ご無沙汰 いたして おります m(._.)m

【本然的な意思】ですか?

たしかに、そのとおりですね。

ただ、こればかりは なかなか 難しいものかも 知れません。

その本人・当事者が、[どんな世界を 見たいか?] に かかっているのでは

ないかと。

飲むばかりの 惰性の毎日から、ほんの ちらりとでも、違う世界を

見出せれば、そこを 手がかりに 進む方向を 変えて行くことも

できるのでは ないかと、私も 思います。

… とにかく、“何も 捨てること 無しに”、先に 進むことは できない

ことだけは 確かですよね☆

[ お酒を 飲んでいた時に、見ていた 世界]だって、やっぱり、

捨てなきゃ ならないのですから…。
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Unknown (jetlinks)
2012-11-07 20:42:10
本当にご無沙汰でした。 お元気でしたか?

業界用語では、「底つき」といいます。 ^^

人それぞれですが、その底つきが時すでに遅しと
ならないことを祈るばかりです。
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