阪神・淡路大震災より20年。
当時息子は、生まれてまだ8ヶ月ほどだったか。
この20年、本当に様々なことがあった。
だが、息子が成人したことを思えば、今現在、
家族が皆健康で、元気に過ごせていることだけを
心から感謝したい。
そして、決してあたりまえのことなどない事を自覚して、
日々、不満よりも感謝の多い時を過ごしていきたい。
成人の記念の写真を撮影したが、はにかんだような
笑顔は、あの頃と少しも変りない。
娘同様、まっすぐに育ってくれたことにも感謝である。
凛々しいスーツ姿に、若い日の自分を重ねるが、
眩しい若さに、自身の老いを思い知らされる。
ひとつの区切りではあるが、これからは対等の男として
付き合っていくことになる。
であれば、私自身も自分の男を磨いていかざるを得ない。
あれこれ言い訳ばかりして、磨くことを怠れば、
曇る一方なのである。
男は、言葉ではなく、背中で語るものなのである。
当時息子は、生まれてまだ8ヶ月ほどだったか。
この20年、本当に様々なことがあった。
だが、息子が成人したことを思えば、今現在、
家族が皆健康で、元気に過ごせていることだけを
心から感謝したい。
そして、決してあたりまえのことなどない事を自覚して、
日々、不満よりも感謝の多い時を過ごしていきたい。
成人の記念の写真を撮影したが、はにかんだような
笑顔は、あの頃と少しも変りない。
娘同様、まっすぐに育ってくれたことにも感謝である。
凛々しいスーツ姿に、若い日の自分を重ねるが、
眩しい若さに、自身の老いを思い知らされる。
ひとつの区切りではあるが、これからは対等の男として
付き合っていくことになる。
であれば、私自身も自分の男を磨いていかざるを得ない。
あれこれ言い訳ばかりして、磨くことを怠れば、
曇る一方なのである。
男は、言葉ではなく、背中で語るものなのである。
関西の方だったのですか?ちょうどそのころ、私も大阪在住でした。思えば人生の転機となる一年でした。今は、あの頃の自分に語りかけたいですね。それでは。
20年というのは、改めて振り返ると気が遠くなります。
半分を飲んだくれ、半分を断酒ということで、
ようやくチャラになったのか・・・?