ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

懐の狭い社会

2014年09月12日 | ノンジャンル
気づけば朝晩が涼しくなり、空も秋めいてきた。

毎年、いや、毎回慌ただしい毎日の中で「気付けば」
ということが多い。

そういえば、たまにクリニックへ行くと、なんだか
女性の患者さんが増えていることに気が付いた。

昔は、それこそいかにもアル中といった風貌の年配の
おじさん達の中で、本当にちらほら見かけるぐらい
だったが、今では結構な人数の女性がいる。

女性の社会進出が奨励されて、政界にも昔に
比べればそれなりに女性議員の数が増えてきている。

結構なことなのだろうが、その分、女性にかかる
ストレスも質の異なる、重いものとなってきて
いるのだろう。

体格、体質共に、女性はアルコールに対して耐性が
低い。男性と同じようなストレス下で、お酒の場にも
出て、飲む機会が多ければ、さもありなんという
ことだろう。

残業で帰りが遅い時など、足元が危ない女性に
出くわすことも多くなった。

この国は、いつからか篩い分け、つまり
スクリーニングとクラス分けの社会を作ってきた。
その中で女性の進出というのは、非常に難しい
面がある。

むしろ、体感ストレスは男性以上のものがあるだろう。

役に立つか立たないか、できるかできないか。
要するに、平等を謳いながら、それと反する
クラス分けを当然とする矛盾は、極端に懐の狭い
生きにくい社会を作ってきたということだ。

母親というのは、どんな子供であれ、大きな懐に
包んで育むものである。
それを理想とした社会を作るはずではなかったのか。

これだけ女性の尊重が謳われている社会で、
女性患者が増えている現実に、どうしようもない
違和感を覚える。

それはそのまま、今の社会が寛容の社会ではなく、
ノアの方舟の様な社会であることの証左でもある。


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