ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

書きっぱなし

2006年03月16日 | ノンジャンル
例会などの体験談について、言いっぱなしの、聞きっぱなしという約束事に
関して、先にも少し述べたが、体験はともかくとして、この雑考察
というものを、その時折々に書き記すということも、実は
書きっぱなしなのである。

公にするつもりも無ければ、誰かに読んでもらいたいと思って
書いているわけでもない。では、言いっぱなしとどこが違うかと
いうと、自分の心情や、考えたことを、心置きなく整理し、
分析し、書き尽くせる点が、最も大きいであろう。

制限時間も無く、言い尽くせないもどかしさも無い。
心ゆくまで、心情や感情を吐露する手段でもある。事実、ある考察に
ついて書き尽くしたとき、それはそれで、かなりすっきりとした後味
として残る。
頭の中も整理されて、よく眠れるのもそのおかげと考えている。

つまりは、自分なりに見出した、断酒のためのケアともいえるのだ。
もちろん、これは一手段であって、自身の断酒継続を、この事のみに
頼るのはリスクが高いということも承知している。
ただ、忙しい中でも「書いておきたい」という衝動に駆られるのは、
私にとっては必然と考えている。

でなければ、自身の思考に苛まれて、薬が無ければ眠れないことにも
なりかねない。
書くことに意味があるのかということは、私自身が判断する
ことではない。
むしろ、それは私の生涯において、自分の書いたものを読み
返すときにわかることであろうし、自分の周りの人が読む機会が
あったとして、その読んだ人に判断してもらうべきことである。

繰り返すが、書きっぱなしというのは、私なりの、自身に対する
ケアのひとつなのである。
そのことに意味があるのか、何かの役に立つのかということについては、
今の私にとっては、問題とならないし、それを問題とする必要も無いと
考えている。 
事実として、書くことで少なからず自分自身が救われているという
現実を認識している以上、書かなければいけないと思うし、書きたいと
思うのである。

ここにも、一つの変化が見られる。赤裸々な体験をありのままに
書こうとしていた時は、非常に辛い時期があったし、何週間も書く気に
なれなかった時もあった。それを越えて今、「書くのが辛い」から、
「書いておきたい」に変化してきたのだ。

大きな前進ではあるまいか?


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