ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

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2009年09月13日 | ノンジャンル
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与えられし試練

2009年09月13日 | ノンジャンル
苦難に遭遇し、苦悩の真っ只中にいる時に、それを神に
与えられた試練と捉え、尚且つ、与えられる試練はその人が
乗り越えていけるものだという考えがある。

その人がその考え方に励まされ、その試練を前向きに
乗り越えていこうとするなら、それでよい。

だが、どうも私はこの「与えられる」というところに
ひっかかる。
人の幸せを願う神なら、わざわざ試練など与えずとも
よさそうなものだが、それは試練を乗り越えて初めて
人としての成長も幸せもあることを教えるためであろう。

ただ、私はこういった情緒的な見方よりも、もっと
自然科学的な見方をしている。
具体的な生命活動を律動としてみれば、波のように
山もあれば谷もある。これは力の作用、反作用と同じで
必然である。

前へ進もうとすれば、その逆方向の抵抗が生じる。
後退しようとしてもまたしかりである。
正も負も、善も悪も、前進も後退も、ひいては生も死も、
共に本然的に備わっているのであり、常に平衡を保とうと
している以上、おしなべれば、ほぼ五分五分で
落着いているのではないか。

天秤で言えば、片側に傾いた場合、平衡を取り戻そう
として反対側に振れることになるが、平衡の位置でぴたりと
止まるわけではなく、その位置を越えて反対側に傾く。
今度は元の側に振れて、また平衡の位置を越える。

こうした振れを繰り返しながら、だんだんとその振幅が
小さくなり、平衡の位置へと落ち着く。
要するに我々の人生というものも、この天秤と同じような
気がする。

目先のことに一喜一憂するのも、心情的には
よくわかるが、何、悪いことばかりではないし、良いこと
ばかりでもないと腹をくくって、己の歩みを進めて行く
鈍感さ、鷹揚さがあれば、いずれの側に振れようと、
それを楽しめるほどの余裕ができるであろう。

なかなか、それほどの境涯になることは難しい。
波に乗り、流れに乗れば楽しいであろうし、逆らえば
苦しいだろう。ただそれを共に必然として見ることが
できれば、生きること自体に少なくとも不満はなくなる
かもしれない。

つまり、10のうち5の不幸があって、はじめて
5の幸せがある、5の幸せがあれば、5の不幸がある
ということを当然のこととして受け容れたとき、人は5の
不幸さえも己心において昇華させ、5の幸せを6にも
7にもしていけるのだろうと思うのである。

願わくは、5でもともとの幸せを、せめて6にしたいと
思うのである。