ホップ ステップ エイジング

車の免許を取ったのもパソコンを始めたのも55歳過ぎ。
興味を持ち楽しみながらゆっくりゆっくり年を重ねていきたい。

人が人を裁く事

2008-04-20 21:17:20 | 雑記
報道によると、"山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審判決が22日に広島高裁で言い渡される"そうである。
二人の母子のかけがえのない命を奪われてから10年目に入る。
何の落ち度もない命を突然奪われた被害者や遺族の無念さは、計り知れない。
本当にお気の毒な事件だった。
遺族の本村さんは、全国犯罪被害者の会を結成し、幹事に就任された。
事件後の裁判の成り行き、事実無根の内容が採用される流れに疑問を感じたこと、被告人の人権は取り上げられても、被害者側への配慮のなさには、やるせなさを感じて立ち上がったのだ。
犯人の真実の声を聞きたいのが正直な気持ちだろう。
本村さんは「判決が死刑でも無期懲役でも、それが真実だと思って生きていく。
公判中に起きた元少年の弁護団へのバッシングについても、
「裁判とは、検察と弁護側が審理して真実に近づける場。私と弁護団の戦いのように誤解されたのは、痛恨の極みだ」と述べたという。
若いのに気丈でしっかりしている方だ。
裁判所にはなんとか真実の解明をして欲しいが、人が人を裁くってことは、本当に難しいことである。
専門家でも難しいのに、裁判員制度が、1年後に実施される事で、現在、議論が白熱している。
裁判員は本人の希望に関係なく、ランダムな抽選で選ばれる。
そして選ばれたら、原則的に辞退することは許されないという強制的な制度であることなど、問題点が噴出している。
もし選ばれたら・・・。
他人の意見に流されてしまいそうな私はとても無理だ。
人の人生を左右するような仕事の、精神的な負担の重さにも、とても耐えられない。
法律や条例の知識もなく、資格もない人たちが裁判官と同等のような役目の裁判員になっていいのだろうか?
被害者や遺族の無念さを思えば いい加減な裁判、弁護活動はして欲しくない。
まだまだ、検討の余地があるような気がする。


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