10月27日から『読書週間』が始まった。
読書週間の第1回は昭和22年。私が生まれた年なんですよ。
今では日本の国民的行事として定着してきているものの、電子メディアの発達によって、世界の情報伝達の流れが、大きく変わってきている。
映像が、ばんばん入ってくる時代、どうしても想像力が退化してきているかもしれない。
私自身本を読むという行為は、学生のころからそれなりに親しんで来たのに、最近は読書の時間が少なくなってきたことは否定しがたい事実である。
読書して、自分の頭のなかで生まれる映像を養うことが、人間の感性を作っていく大切な行為なのに・・・。
読書に適した3つの余暇を「三余の時間」と言うそうで、「冬・夜・雨の日」のこと。
この素晴らしい教えの通り、私の寝床に、二冊の本を置いてある。
しかし、同じ行を何度も読んだ挙句に”ここって昨日読んだっけ?
挙句の果てに、本を手に持ったまま朝までぐっすり。
うーん。これじゃいけませんね。
11月から朝の小学校の読み聞かせボランティアのお話が来ている。
朝の時間に出かけることに、ちょっと自信がないけれど、自分も一緒に楽しめればいいので、がんばってみよう。
この際「読書週間」→「読書習慣」を目指して。
読書週間の第1回は昭和22年。私が生まれた年なんですよ。
今では日本の国民的行事として定着してきているものの、電子メディアの発達によって、世界の情報伝達の流れが、大きく変わってきている。
映像が、ばんばん入ってくる時代、どうしても想像力が退化してきているかもしれない。
私自身本を読むという行為は、学生のころからそれなりに親しんで来たのに、最近は読書の時間が少なくなってきたことは否定しがたい事実である。
読書して、自分の頭のなかで生まれる映像を養うことが、人間の感性を作っていく大切な行為なのに・・・。
読書に適した3つの余暇を「三余の時間」と言うそうで、「冬・夜・雨の日」のこと。
この素晴らしい教えの通り、私の寝床に、二冊の本を置いてある。
しかし、同じ行を何度も読んだ挙句に”ここって昨日読んだっけ?
挙句の果てに、本を手に持ったまま朝までぐっすり。
うーん。これじゃいけませんね。
11月から朝の小学校の読み聞かせボランティアのお話が来ている。
朝の時間に出かけることに、ちょっと自信がないけれど、自分も一緒に楽しめればいいので、がんばってみよう。
この際「読書週間」→「読書習慣」を目指して。