87歳をとうに過ぎた姑が、3時間の手術に耐え、胃を三分の二をとった。
前日、麻酔医から「無理に手術はしなくてもいいんですよ。」と念を押すように言われたという。年が年なので心配してくれているのだ。
「手術で何か起きても仕方ない。それだけの寿命だと思うから・・・」姑は強い意志を見せた。
手術の翌日は頑張って部屋まで歩き、トイレも積極的に行っている。
今夜から初めて経口摂取、重湯になるようだ。
帰宅したらあれをしなきゃあ、これをしなきゃあと言っている。
自分に可能性を期待し、前向きに可能性を見出そうと励み、努力している姿に感心する。
谷川俊太郎の「生きる」という詩がある。その一部に、
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きるとはそういうことなのだ。
姑の手術でも、日ごろ何の気なしにしている、あたりまえの事のありがたさを改めて痛感する。
食べる、おしゃべりする、歩く、ということは基本的な人間の楽しみ。
それができることはすごい事なんだと。
「ただ息をしてるだけの生活は絶対いや。生きている以上は、人の役にも立ちたい」と、いつも言っている姑。
術後の快復にとても大切な事だといえる。
退院したら、料亭でふぐを食べたいと言っている。
前日、麻酔医から「無理に手術はしなくてもいいんですよ。」と念を押すように言われたという。年が年なので心配してくれているのだ。
「手術で何か起きても仕方ない。それだけの寿命だと思うから・・・」姑は強い意志を見せた。
手術の翌日は頑張って部屋まで歩き、トイレも積極的に行っている。
今夜から初めて経口摂取、重湯になるようだ。
帰宅したらあれをしなきゃあ、これをしなきゃあと言っている。
自分に可能性を期待し、前向きに可能性を見出そうと励み、努力している姿に感心する。
谷川俊太郎の「生きる」という詩がある。その一部に、
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きるとはそういうことなのだ。
姑の手術でも、日ごろ何の気なしにしている、あたりまえの事のありがたさを改めて痛感する。
食べる、おしゃべりする、歩く、ということは基本的な人間の楽しみ。
それができることはすごい事なんだと。
「ただ息をしてるだけの生活は絶対いや。生きている以上は、人の役にも立ちたい」と、いつも言っている姑。
術後の快復にとても大切な事だといえる。
退院したら、料亭でふぐを食べたいと言っている。