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元女流棋士 林葉直子の壮絶人生

元女流棋士・林葉直子の壮絶人生

 中原 誠の愛人として騒がれた時期もあった元女流将棋棋士でタレントの林葉直子は末期の肝硬変であることを最近の婦人公論(2月22日発売)で告白したようだ。

「これまで公表してきませんでしたが、私の病名は末期の肝硬変です」

「アバラ骨が浮くほどやせ細ってるし、おなかはポコンと出て妊婦のようですから」・・・

 林葉と言えば、中原誠16世名人と不倫騒動や失踪ヘアヌード写真集発売と世間を騒がせてきた。しばらく表舞台に姿を見せることはなかったが、元アイドル棋士の変わりようには、驚くしかない。

21日には情報番組「ノンストップ!」(フジテレビ系)の独占インタビューに登場。やせ細り、力なく話す姿に、かつての面影はなく、「肝硬変でも肝不全に近い。ここまでなったらもう駄目。いつ死んでもしょうがないなって感じ」と語っていた。

現在、地元福岡県で一人暮らしをする林葉は、入退院を繰り返し、一時は体重が38キロまで落ちたという。決定的に体調を崩したのは06年ごろ、父親が残した借金が原因で自己破産。1億2000万円の自宅を差し押さえられた。偏った生活により一気に肝臓にガタがきた、と言っている。

 *林葉直子(8・15・8・3)草カンムリは艸で6画ゆえ葉は15画。運の強さ20点

天格・林葉23画

人格・葉直  23画大凶 頭領寡婦運

地格・直子  11画大吉 順調発展運

外格・林子  11画大吉 順調発展運

総格・林葉直子34画大凶 破壊破滅運

「34画の霊導」

破家亡身最悪の運。

破壊乱離の象。 一度び凶来たる時は凶は更なる大凶を生じ、凶禍、災厄、障害しきりにおよびて、万事に行き詰まりを覚え、難症・短命を余儀なくされ、終生を完うすることなき、大凶悪の運気を表出す。

 特に37歳以降の人生後半(後運)に林葉の家を破り、わが身を亡(ほろ)ぼす厄災の中に身を落とすことを意味す。 

また新著「遺言――最後の食卓」(中央公論新社)の中では、「病気で食後の薬が8種類ぐらいあり、固いものを食べると歯茎から出血。腰が痛くて正座もできないし、塩分制限があるので食べられるものも制限される」といった闘病生活を紹介している。 続く

 

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2月25日 左遷の心構え

2月25日

「左遷」の時の心構え

 サラリーマン生活でなにが悔しいといっても、左遷ほど悔しいことはない。

いっそ会社を辞めようか・・・と思う人も多い。

そんな時ちょっと法然上人のことを考えてみたらどうだろうか。

我が国浄土宗の元祖法然上人の生涯は、決して順風ばかりでなかった。多くの逆風が有る。その最大の逆風は、承元元年(1207)の院宣による土佐(実際は讃岐)への配流であった。これは左遷と言った生易しいものではない。犯罪人としての流刑であった。だが法然は、この流罪をこのように受けとめている。

 「流刑更に恨みとすべからず。その故は、齢すでに八旬に迫りぬ。たとい師弟同じ都に住すとも娑婆の離別近きにあるべし・・・中略・・・しかのみならず、

念仏の興行、洛陽にして年久し、辺鄙(へんぴ)に赴きて,田夫野人をすすめんこと季来(きらい)の本意なり。しかれども、時至らずして、素意未だ果たさず、今事の縁によりて、季来の本意を遂げんこと、すこぶる朝恩とも云うふべし」

 ――流罪になったことを怨(うら)んではいけない、なぜなら私はもう80歳近いのであり、師弟が同じ京都にいても娑婆の別れはもうすぐだ。・・・そればかりではない。念仏を弘めることを中央(京都)では長い間してきたが、地方に行って田舎の人々に念仏をすすめるのが

永年の願いであった。だが時がいたらず、その願いを果たしていない。今こういうこと(流罪)があって、永年の願いが遂げられることは、むしろ「朝恩」と言ってよさそうである。

 流罪をチャンスに、地方の人々に念仏を弘められる。

そう考えるなら、流罪は朝恩と受け取れるわけだ。法然はそう言っている。

 もっとも、朝恩と言った表現を文字通りに解釈するか、法然がそこに皮肉を込めているか、意見は分かれるであろう。しかし法然が流罪に屈せず、それを逆転させて絶好のチャンスととらえていたことは間違いない。

 サラリーマンが左遷された時、官費、社費で地方に留学させて貰った、と考えたら面白そうだ。

日本史最大の左遷は、菅原道真(延喜3年=903年2月25日没)のそれであろう。

道真は、右大臣から太宰権帥(太宰のごんの措置)に左遷された。

 

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