日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
安倍政権信任でいいのか?福島放射線量測定値のデタラメ
安倍政権信任でいいのか
国の放射線測定のデタラメを暴く
(福島55地点・実測値と徹底比較)
2014・2・14週刊朝日
ジャーナリスト桐島 瞬
国は福島の原発事故以降、各地の放射線量を継続的に測定するため、福島とその近隣の学校や公園など3千か所以上に『モニタリングポスト』という装置を設置した。しかし、50億円近い費用を投入したにもかかわらず、この装置は実際の放射線量よりも低い数字が出ると地元住民の間で評判が悪い。
独自測定すると、最大4割超も低く、そのデタラメぶりが判明した。
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福島第一原発からおよそ15キロほど北西に離れた浪江町にある山村。牧草地に囲まれた、集会所の庭に
ひっそりと空間放射線量測定器(モニタリングポスト)が置かれている。地面から1・5メートルの高さに、太陽電池パネルが大きく張り出し、その数十センチ下に放射線検出器の入った箱が見える。
箱はコンクリート製の土台に乗る鉄板に固定されていた。この場所は放射線量が高いと言われる区域で、赤く表示されていた数字は毎時18マイクロシーベルトだ。
だが持参した線量計を検出器のセンサー付近(地上高1メートル)に近づけるとけたたましく警報音を鳴らしながら、数字はぐんぐん上昇し、毎時27マイクロシーベルトを計測したのである。
周辺の測定も行うと、なおも数字は上昇した。1メートル離れただけで、毎時30マイクロシーベルトを超え、地表の放射線量は、41マイクロシーベルトまで跳ね上がった。しばらく歩きまわったが、どこにも国の測定器が示すような低い放射線量の場所はない。
ちなみに、除染の目安となる基準値は毎時0・23マイクロシーベルトだ。毎時41マイクロシーベルトはこの178倍に相当し、いかに深刻な放射能汚染に見舞われているかが分かる。
帰還困難区域であるこの場所には一時帰宅以外の住民はいない。もしここに住んでいたら、年間300ミリシーベルト以上も被曝してしまうのである。
同じように低い数値を表示する状況は、実は人の住んでいるところでも何ら変わらない。
そのため福島には、国の測定器が示す放射線量を信用しなくなってしまった人がたくさんいる。2へ続く
2月11日・ 仏の顔も三度
2月11日
「仏の顔も三度」
釈迦の晩年、釈迦の故国の釈迦国は、近隣のコーサ
国の侵攻を受けて滅ぼされてしまった。
コーサラ国の前国王は、深く釈迦の教えに帰依していたので、自分の妃は釈迦国から迎えたいと思った。
そこで、使者を釈迦国に使わしたが、この使者の態度が余りにも尊大であったので、
腹を立てた釈迦国の人々は、ある富豪が下女に産ませた美女を、その富豪の嫡出子と偽ってコーサラ国に嫁入らせたのであった。
そんな事情を知らぬコーサラ国の国王は、彼女との間に生まれた王子を王子が8歳になった時、釈迦国に留学させた。だが可愛そうに王子は、釈迦国の人々に徹底的にいじめられた。母親が下女であったという理由で、ひどい差別を受けたのであった。
王子はその屈辱を忘れなかった。
やがて前国王が亡くなり、王子が王位についたとき、釈迦国への復讐がはじめられた。
王は軍を率い、釈迦国へ進撃する。ところがそのことを聞かされた釈迦は、コーサラ国から釈迦国に続く街道の一本の枯れ木の下で坐禅をされた。街道を進撃してきたコーサラ国王は、釈迦の姿を見かけて挨拶した。
「世尊よ、他に青々と繁った木もございますのに、なぜ枯れ木の下に座っておられるのですか?」
『王よ、親族の陰は涼しいものです』
釈迦はそう答えられた。実はその枯木は、釈迦国のシンボルの木であった。その言葉を以って釈迦は故国の釈迦国への愛情を表明されたのだ。その言葉を聞いてコーサラ国王は軍を引き返した。
しかし、怒りに燃える国王は、やがて2度目の進軍を開始する。が、二度目も釈迦の姿を見て、進軍を断念した。そして3度目、三度目も枯れ木の下で釈迦は坐禅をしておられ、王は軍を引き返した。
だが4度目、この時は釈迦の姿はなかった。コーサラ国王の軍はそれで釈迦国を滅亡させた。
如何にしても防ぎきれぬ釈迦国の運命を、釈迦は見通しておられたのだ。
この故事を以って「仏の顔も三度」のことわざが出来たという。人間の努力や忍耐に限度のあることを教えた言葉である。
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2月11日は「建国記念の日」、釈迦は故国を愛しておられたが、国には国の運命がある。滅びる国は仏の力でもっても救えないのだ。