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女は政治家に向かない・舛添要一

女は政治家に向かない!

舛添要一さんの発言について

福島みずほ

「僕は本質的に女性は政治に向かないと思う。例えば指揮者、作曲家には女はほとんどいない。女が作曲した曲に(“作った曲”で良い←永人)大したものがない。なぜかと考えてみると、実は指揮者は政治家に似ていると気づいたわけ。

 オーケストラを統率する能力は、女性は男性より欠けているわけです。作曲家が少ないのも、論理構成をしてさまざまなパーツを上手にワンパッケージにまとめる能力がないから。これはシングルイシュー、ポリテックス (単一争点政治)とも関係してくる。」

 「それから体力の差ということで云えば、政治家は24時間いつ重要な判断を下さなければいけないか解らない。その時、月1回とは云え、たまたま生理じゃ困るわけです。」

「女は生理のときはノーマルじゃない。異常です。そんなときに国政の重要な決定、戦争をやるかどうかなんてことを判断されてはたまらない」

2014年1月31日

「福島みずほのどきどき日記」より

Mizuhohukusima.blog83.fc2.com/blog-entry-243

(永人所感)

東京都知事選

舛添さんはかつてDVを理由に離婚を言いわたされた片山さつきさんに応援弁士を依頼し、はっきりと「人格に問題アリ」との理由で断られた。

 そのためかどうか、今回は選挙カーにはウグイス嬢が一人も乗っていない。スタッフは、選挙期間中にスケベイの舛添えがウグイス嬢に手を出し、かつての横山ノックのように騒がれては大変と、最初からウグイス嬢を乗せないことにしたということは聞いていたが、まさか舛添えが著書で、ここまで女性や女性の政治家をバカにする主張をしていたとは!

 このような偏質な人物の舛添要一を知事に選ぶなどという言語道断な投票行動を良識ある都民が採(と)るはずもないが・・・

 

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2月1日 連帯意識のお念仏

2月1日

連帯意識のお念仏。

永久5年(1117)5月15日念仏三昧を修していた良忍に阿弥陀仏の示現があった。彼は次のような偈(げ)を感得した。

『一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行』

(いちにんいっさいにん、いっさいにんいちにん、

いちぎょういっさいぎょう、いっさいぎょういちぎょう)

実はこの偈が――融通念仏の思想的根拠――なのである。良忍はこの偈に基づいて融通念仏の理論を完成し、融通念仏宗を開いた。

 良忍はもともと天台宗の僧であり、大原に来迎院を建てて念仏生活を送っていた。その彼に阿弥陀仏の方から新しい念仏理論を啓示されたのである。

 その念仏理論は、この宇宙に存在しているものの内,他から孤立し、単独に存在しているものはない。

 一つのものは宇宙全体の中の一つであり、その一つが全体(一切)に他ならないのだ、というものである。私たちは一人一人が別々の存在であるかの様に思っているが、家族であれ、あるいは職場の集団であれ、だれか一人が病気になったような時、全員の気が滅入るものである。

 その意味ではひとりの行動がその人一人のものではなく、皆に影響する。そう考えるとこの宇宙においては、一人が一切人であり(一人一切人)、一切人が同時に一人なのだ(一切人一人)。

そして一人が称えるお念仏が他の人のお念仏になり(一行一切行)、他のすべての人が称えるお念仏が私のお念仏になる(一切行一行)のである。

 そして良忍は、そのようなお念仏の行を―融通―と呼んだのである。

 私のお念仏を他人に融通し、他人のお念仏を私に融通してもらう。そうすれば、百人が百回ずつお念仏すれば一万回のお念仏になる。

 一万人が一万回ずつお念仏すれば、一億回のお念仏になる訳だ。それが「融通念仏」である。

 労働組合の集会で皆で声を合わせて『頑張ろう!』とシュプレヒコールする。あれは、苦しんでいるのは自分一人ではないのだ。ここにこんなに大勢の仲間がいる。

この仲間が力を合わせて取り組めば、きっと問題は解決できるといった意志の確認なのだ。融通念仏と言うものも、そのようなお念仏の仲間の連帯意識に基づいた念仏である。

良忍は天承2年(1132)2月1日示寂・享年61。

 

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