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日本は戦前に逆戻り中

日本は戦前に逆戻り中

行きつく先は経済破滅

2月18日・日刊ゲンダイ

NHK以下の言論は、安倍政権の意のままに操られ。政権を批判する気骨のある知識人は発言の場を失い、教育に修身が復活し、歴史歪曲教科書の採用が強制され、議会は与党勢力一色に近づき、自国を美化する国粋主義者が選挙で大量の票を集める事態になった。

 その他にも数え上げればキリのない。

戦争の悲惨さを知らない世代を学校教育の保守化によって無知蒙昧の衆愚の群れに育て上げた自民党亡国政権の驚くべき成果であると言える。

男子フィギュアで初の金メダリストになった羽生結弦(19)は「日本人として誇りに思う」と話した。

 東日本大震災で自宅が壊れ避難所生活を経験。一時はリンクを離れることも考えたという。その後カナダに拠点を移し、技術を磨いた。海外での生活は日本人であることをより強く感じさせる。彼の『誇り』には、さまざまな経験や苦労が詰まっていそうだ。

 ところが安倍首相はそんなアスリートを「さすが日本男児だ」と単純化して持ちあげた。わざわざカメラを招き入れ、首相公邸から電話する様子を撮影させ、放映させている。

 経済再生を掲げ「世界で勝つ」と拳を振りかざす安倍にとって、「日本人の誇り」を胸に秘めた若者は格好の宣伝材料に映ったのだろう。

 もちろん多くの日本人も羽生に拍手喝采している。元気づけられた人も多いはずだ。ただブライアン・オーサー氏ら彼を支えたコーチ陣はカナダ人である。

 SPに使われた「パリの散歩道」の作曲者ゲイリー・ムーアは北アイルランドの生まれだ。

羽生の偉業は、日本の力だけで生まれたものではない。

 だから本人も「日本で、世界で応援してくれる皆さんの思いも持って表彰台に立てた」と言ったのだろう。

 それに比べると金メダルに便乗して日本を美化する首相は余りにも単細胞で薄気味悪い。安倍と一緒に「日本サイコー」と叫ぶ人たちも無邪気だ。

日本社会はどんどんおかしな方向に向かっている。

アベノミクスも完全におかしくなってきた。このまなら行くつく先は経済的破滅である。

国民はその危うさを早く理解すべきだ。

 

 

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2月21日・自殺者への手向け

2月21日

心中した者への手向け

 

心中はほめてやるのが手向けなり

死に切って嬉しさうなる顔二つ

江戸川柳で心中を詠んだ句である。これを見ると、江戸時代の庶民はなんだか心中を奨励しているかのように見えるが、そうではない。

 江戸中期の元禄時代、京、大阪を中心に心中が流行し、それが江戸にも移ってきた。この流行の背景には読売祭文や近松門左衛門の浄瑠璃が有った。

 心中事件があると、それがすぐに浄瑠璃などにつくられ、それに触発されて次の心中が起きたのである。

近松の作品だけを見ても、『生玉心中』『心中天網島』

『心中宵庚申』といった名作が多く、心中事件を扱えば当たり狂言疑いなしというありさまであった。

 このように心中を美化する世間の風潮に対して、享保7年(1722)、幕府は心中事件の読売を禁じた。

そして翌年の2月21日には心中者の刑罰を定め、また心中事件の出版・上演を禁止した。

 これによって、心中は公式には『相対死』と称され。罰則として心中した者の屍体は、葬式を許さず、もしも一方が生き残った場合、その片割れは死刑となった。

 そして、心中に失敗して両人共に生き残った場合、江戸においては日本橋の橋詰に三日間さらし者にされ、の手に下げ渡されることになった。

だから、最初に上げた江戸川柳は、失敗すれば残酷な運命が待っているのだから、うまく死ねて良かったね・・・と死に切れた二人に庶民たちが手向けの言葉を送ってやっているのである。

きっと二人はあの世において、一つ蓮(はちす)に仲良く並んで夫婦になれるだろう・・・。そういった句なのである。

心中は自殺である。キリスト教においては自殺は罪悪とされている。もちろん仏教においても自殺が肯定されるわけではない。自殺者は地獄に堕ちるとされている。

けれどもそれは、自殺を予防するための話である。自殺を思いとどまらせるために,『自殺をすれば地獄に堕ちるぞ』と脅すことは正しい。

 だが自殺をした人間に向かって、あるいは自殺者の家族に対して、自殺を罪悪として糾弾する態度は取るべきではない。江戸川柳のように暖かい言葉を送ってやった方がいいと私は思うのである。

 

 

 

 

 

 

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