日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
2月7日・『石は沈み、油は浮く』
2月7日
石は沈み、油は浮く
釈迦の所に一人の男がやってきて、こんな質問をした。
「バラモンたちが言うには、彼らが御祈祷をやれば死者は天界に生まれるそうだ。本当だろうか・・・?」
バラモンというのは、インドのバラモン教の僧侶である。彼らは御祈祷の専門家である。その質問に釈迦は直接答えず、釈迦の方から男に質問された。
『それに答える前に私から質問がある。大きな石を池に投げ込み、“石よ浮かべ、石よ浮かべ”と御祈祷すれば、石は浮かぶだろうか?』
「いいやそんなことはない」
『じゃあ、瓶に油を入れて池に投ずる。瓶が壊れて油が外に出る。その時皆で、油よ沈め油よ沈めと御祈祷する。すると油は沈むだろうか・・・?』
「いいや、油は浮かぶにきまっている」
『その通りだよね。でそなたの質問に答えると、生前に悪業を積み重ねた者は、死後、地獄に堕ちる。
逆に生前に善業を積み重ねた者は、死後に天界に生まれる。御祈祷によって天界に生まれるわけではない。これが私の解答だ』
ここで釈迦が教えられていることはで、―『自業自得』-である。
“業”とは「行為」のことであり、我われが何かの行為をすれば、それが原因になって次の行為がある。
小さなウソをつけば、それを糊塗するために別なウソをつかねばならなくなる。
恋人に『好きだよ』と言えばその言葉の責任を取らねばならない。人を殴れば何らかの反応を生む。そのように一つの行為が別の行為を生み出す力のことも「業」という。
私たちは自分の行為(自業)の責任を取らねばならない。自分が悪いことをしてその結果は他人に肩代わりしてもらうと言うのはだいぶ虫がよすぎる。
いや絶対に他人に肩代わりは頼めない。私たちは必然的に自分の業の責任を取らされる。逃げようとして、逃げられる訳はないのだ。
それが釈迦の教えられたことである。
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明治6年(1873)2月7日、明治政府は太政官布告により、
日本古来の習慣であった仇討ちを禁止した。
仇討ちというものは、子が父を肩代わりするものだ、とも言えよう。