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浅田真央さんになお期待する!

2月24日投稿

浅田真央さんになお期待する!

フリーの競技が終了の後、

日本人女性記者の「SPで(予想外の16位)は、どうしてあのようなことになったのですか?」との質問に

浅田は「わかりません」と間を置かずに答えた。

佐藤信夫コーチはフリー競技の前に「それとなく雰囲気にSPの引きずりが見受けられたので、フリーは後に悔いの思いを残さぬよう持てる力を存分に出し切るように」とアドバイスしたそうだ。

 彼女は最初のトリプル・ジャンプ成功で「いける」という感触をつかみ、後は思う存分に全身全霊でプレイに集中できたという。

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フリーのあと、浅田は「これが自分がやろうと思っていた構成なので良かった。今朝の練習もそこまで良くなかった。いろいろあったのですが、ジャンプを一つ一つクリアに跳んで行こうと思った。

 昨日の演技(SP)はとても残念で悔しかった。取り返しがつかないことをしたと思う。メダルは持ち帰ることはできませんが、フリーでは4年間しっかりやってきたことを出せた。

たくさんの方に支えてもらったので私なりの恩返しは出来たと思います」

それにしても3Aが跳べるものしか実現できない

「8トリプル」は女子で初の偉業だ。

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2011年12月に精神的な支柱である最愛の母を肝硬変で失い、大きなショックを受けたのは想像に難くない。普通の女性なら受けたショックからどんどん体調を崩すところだと思われるが彼女はそれを運気の強さで見事に乗り切った。

 23歳なら年齢的に引退はまだまだ早い。鈴木選手は今回28歳だった。体調との相談になるのだろうが、何とか頑張れるなら、次回に期待したい。多くの国民は浅田真央さんになおそれを望んでいるだろう。 終わり

 

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2月24日 カタツムリからナメクジへ

 

2月24日

カタツムリからナメクジへ

 芭蕉門下の優れた俳人を「蕉門の十哲」と呼ぶ。

内藤丈草はその一人で、とりわけ詩心の透明な人と言われ、ファンも多い。芥川龍之介は、蕉門の俳人のうち、この丈草を最も好んだという。

 うずくまる 薬の下の 寒さかな

 芭蕉は死の前、お伽(とぎ)に詰めかけた弟子たちにそれぞれの句を作らせた。その時の丈草の句がこれである。その時芭蕉はこの句に感銘して「丈草、出来(でか)したり」と言ったという。

 弟子の中で芭蕉は丈草との間に、最も気質の通い合うものを認めていたらしい・・・と山本健吉『句歌歳時記・冬新年』(新潮社)はコメントしている。

 丈草(宝永元年=1705・2月24日没)は、

尾張、犬山藩士であったが、継母が生んだ弟に家督を譲るため、わざと指を傷つけて、「刀を握ることは出来ぬから武士を捨てる」と言って出家した。

 その出家の時につくった偈(げ)がある。

多年負屋一蝸牛 「多年屋を負う一蝸牛(かたつむり)」

化做蛞蝓得自由 「化して蛞蝓(なめくじ)と做(な)って自由を得(う)」

火宅最惶涎沫尽 「火宅最も惶(おそ)る涎沫(せんまつ)尽んを」

偶尋法雨入林丘 「偶(たまたま) 法雨を尋ねて林丘(りんきゅう)に入る」

長い間蝸牛(かたつむり)のように家を背負って来た

が、蛞蝓(なめくじ)になって自由が得られた。だが火宅の世に生きるに最も恐ろしいことは、水気の無くなること。偶然の縁で仏法の雨を求めて、林や丘に住むことにする。

 出家を蝸牛(かたつむり)から

蛞蝓(なめくじ)への変化ととらえている感覚が斬新である。

時宗の開祖の一遍は鎌倉中期の僧である。彼はその出家について、次のように言っている。「また云う、念仏の機に三品あり。

上根は妻子を帯し家に在りながら著(じゃく)せずして往生す。

中根は妻子を捨つるといえども住処と衣食とを帯して、著せずして往生す。

下根は万事を捨離して往生す』 (一遍上人語録)

 念仏者の素質に上中下の三クラスがある。

最も素晴らしい人は、妻子を持ち、家にいて、しかも執着しないで往生す。

 次のクラスは、妻子は捨てるが、衣食住をもって執着しないで往生す。

 最低のクラスはすべてを捨てて往生す。

上は親鸞、

中は法然、 

下は一遍自身だと考えていたようである。

 

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