山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

イワン・ノット

2017-02-21 05:14:04 | 宵宵妄話

妙なタイトルとなった。ノットというのは結ぶという意味で、イワンというのは、多分どなたなのか人の名前なのだろうから、合わせて言えば「イワンさんの結び方」とでもいうことになるのだろうか。要するに靴紐の結び方なのである。

このところ頭の回転は絶不調で、何をする気にもなれない。気が動かないというのは困ったもので、行動も減退することになる。ブログなども無理して書いている感じがあり、それを知っているかのごとくにアクセス数は急激に減って来ている。ま、このブログは、そもそも旅に出ないと本来の姿に戻らないので、しばらくはじっと我慢するしかない。

そのような中で、毎日確実に果たしている勉めといえば、歩くことだけである。早朝の歩きは歩行鍛錬と位置付けており、現在は負荷をかけることは止めて、スピードに重きを置く歩きに力を入れている。これがほぼ2時間余り、およそ9km前後の距離を稼いでいる。午後の歩きは鍛錬ではなく散策である。気の向くままに好きなコースを1時間ほどの歩きを楽しむ。これらを合わせると万歩計は2万歩を少し超えるレベルとなる。1月は正月の外出があったりして、少し低調な歩きとなったが、2月に入ってから盛り返して、毎日2万歩超。現在は今年に入って50日間の平均歩数が18,273歩となっている。この数は、今月末までにはもう少し上げて1万9千歩台に届くようにしたいと思っている。頭が動かない時は、身体を動かすことが肝要と心得ている。今の内に歩数をうんと稼いでおこうなどという妙な気分となっている。

ところで歩く時は当然ながら靴を履く。歩行鍛錬の時は登山靴を常用。短靴なのだが、がっちり作られているように見えても、年間500万歩以上を歩いていると、3年も持たない。靴の表側の方は何でもないのに、靴底の特に踵の端の方がすり減って穴があいてしまうのである。皮靴と違って補修が効かないので買い替えることになる。ということで、昨年の秋に靴を新調した。ところが、使い始めの登山靴というのは、なかなか足に馴染んでくれない。特に右足の方に問題があり、親指の上部辺りにこぶ状の物が出来てしまう。これは靴に問題があるのではなく、足の方に過去の事故の後遺症があるからなのである。止むを得ないことは解っているので、痛さを我慢しながら足が靴に馴染むまで歩き続けなければならない。今はもう4カ月も経っているので、その問題は解決している。

もう一つ問題がある。それは歩いている途中で必ず靴紐が解けてしまうという出来事なのだ。随分と力を入れてしっかり結んだ筈なのに、1時間も歩くといつの間にか緩んで来て解けてしまう。その都度もう一度締め直すことになる。特に登山靴の紐は太めで硬く作られているので扱いにくい。ぶつくさ言いながら立ちどまり、屈んで靴紐を締め直すことになる。これは歩行鍛錬の際には大きな障害となる。何とかならないものかと思いつつも、その対策を考えるところまでは行きつかず、紐が馴染むまでは仕方がないと諦めていたのだった。

数日前、TVドラマの「相棒」を見ていたら、右京さんが妙なことを言っていた。「‥‥どうも細かいことが気になって仕方がない性分でして、」といういつものセリフを言いながら、玄関先に置かれた靴を指さし、手にとって、「この靴のひもの結び方なのですよ、‥‥」とイワン・ノットの結び方を実演していたのである。何だ、それは?と思いながら見ていたのだが、解けにくい結び方の一つであるという説明に、俄然興味関心が膨らんだ。今まで、この歳になるまでの70年間以上、靴紐の結び方に、いわゆる細(こま)結び以外のやり方があるなどということを、全く知らなかったのである。

それで、早速ネットでそのやり方がどんなものかを調べてみた。今頃は本当に便利である。辞書や百科事典にも載っていないようなことが直ぐに判るのである。親切な図解や実際の画像までが示されていて、それを習得するにも大いに役立つのである。そのイワン・ノットという方法を実際にやって見ると、最初はどうも要領を得なかったのが、しばらく試している内に、どうやら上手くゆくようになった。なるほど、このような結び方があったのかと感心した。

しかし、まあ、紐は結べても実際に歩いてみないと本当かどうかは判らない。それで、その後数日試してみたのだが、確かに解けなかったのである。歩きというのには、ある種のリズミカルな動作が必要で、それにうまく乗った時に気分よく効率よく身体を運ぶことが出来るのだが、途中でそれを狂わすものに出くわすのが障害となる。靴紐が解けるというのは、それらの障害の中でもかなりの上位にあるように思っていたので、この結び方を知ったのは大いなる助けとなった。

それにしても、紐にはいろいろな結び方があるものなのだと改めて思い知った感がある。たかが靴紐の結び方なのだが、今まで考えてもみなかったやり方なのである。このようなところまで人間の知恵というのは行き渡っていたのかと、改めて己の油断というのか、迂闊さを思い知らされた感じがした。調べてみると、イワン・ノットの他にも、より解けにくい結び方があるようで、今の世の解けない靴紐の結び方のニーズの大きさを知った次第である。相撲以外の殆どのスポーツ競技では、靴を履くのが当たり前であり、競技の最中に紐が解けてしまっては、場合によっては結果に重大な影響を及ぼすこともありうるのであり、その分だけ知恵が磨かれているということなのであろうか。

この老人は単純な者なので、今は紐を結ぶ必要のある他のどの靴もイワン・ノットのやり方に切り替えることにしている。でも更に上級の結び方については、もはやそれほどのニーズは無いので、チャレンジするつもりはない。やたらにやり過ぎるとイワンのばかではない、本物のノットばかになりかねないからである。

退屈な日々を過ごしている。直ぐそこまで憂鬱な黄色っぽい季節がやって来ている。既に目も鼻もその到来を感じ始めている。それでもイワン・ノットにこだわりながら、歩きに出かけなければならない。これはPPKを目指す老人の執念なのである。死計は老計の実践の中にあるのだから。

コメント
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