山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

京都他短か旅:第5日

2016-12-02 06:12:44 | くるま旅くらしの話

第5日<11月22日:火> 天気:曇り後晴れ後曇り

 <行程>

道の駅:妹子の郷 →(R161・R1)→ 京都東IC →(名阪・近畿・阪和道他)→ 有田IC →(K他)→ 道の駅:明恵ふるさと館[和歌山県有田川町] →(K他)→ 有田IC →(阪和道)→ 和歌山IC →(R24他)→ 道の駅:青洲の里[和歌山県紀の川市] →(K他)→道の駅:紀の川万葉の里[和歌山県かつらぎ町] →(R24他)→ 道の駅:西かつらぎ[和歌山県かつらぎ町] →(R24他)→ 道の駅:柿の郷くどやま[和歌山県九度山町](泊) 走行255km

 <レポート>

二日間の京都探訪が終わって、今日は一気に和歌山県の有田まで行ってミカンを買う予定である。今回の旅の目的の一つが有田のミカンを買うことなのだ。これはもう自分で食べたいというよりも孫たちに食べさせたいという気持ちが強い。糖尿病の自分には果糖類は要注意なので、ミカンも柿も食べるに際しては計算が必要なのだ。因果な話である。

 毎年12月前後のこの時期になると有田のミカンを思い出し、本場の有田川町にある、道の駅:明恵ふるさと館が目に浮かぶようになる。小さな道の駅なのだが、ここはミカン畑に取り囲まれており、上等な味のミカンが驚くほど安価に手に入るのだ。今回は少し時期が早い感じがするけど、早生種のミカンならばもう終わりかけている頃だろう。必ず手に入ると思いこんでの来訪なのである。

昨日はR161の和邇IC付近に新しく出来た道の駅:妹子の郷に泊った。もう京都へ行く予定はないので、道の駅:びわ湖大橋米プラザには迷惑をかけたくないという気持もあった。でも、新しいものを見たい・知りたいという好奇心の方が強く働いているのかもしれない。妹子の郷というからには何か遣隋使の小野妹子に関係があるに違いないと思ったのだが、やはりそのようで、小野妹子はこの近くの小野という土地に係わりのあった人物とのこと。

この人物のことは歴史のまる暗記だけで、遣隋使といえば小野妹子と覚えているだけで、この人がどんな人物で、その時代にどのような役割や使命を果たしていたかの実態は、知っていること皆無である。遣隋使というからには、往時の朝廷では重要な役割を担っていた人物なのであろう。そう思うだけである。

道の駅の方は、駅舎を挟んで上方が表、下方が裏のような関係で作られていて、自分たちは下方の駐車場を使わせて頂いた。駅舎に行くには、専用のエレバーターが設置されていて、高齢者などにはありがたいことだなと思った。夜中に雨が降ったりして天井は騒がしかったが、快適な一夜を過ごすことが出来て感謝。

さて、その道の駅を出発した後は、湖西道路を走って一路名神道の京都東ICを目指す。今朝の琵琶湖は雨雲の下にあるようだが、間もなく晴れるのであろう、雲が散り始めていた。しばらくこの景色ともさよならである。間もなく京都東ICから高速道に入り、あとはナビの指示するままに幾つかの高速道を乗り換えて、最後に阪和道に入って、トンネルを潜って有田ICで一般道へ。道の駅:明恵ふるさと館に着いたのは11時を少し過ぎた頃だった。

駐車の車も無く人の気配も無い道の駅は、今日は休日なのかと勘違いしたのだが、駅舎の売店は営業していたので安堵した。ミカンもちゃんと販売されており、早速買い入れる。箱買いするよりも袋に入ったものを見つくろった方が変化があって良いように思い、何袋かを選び買い入れる。箱二つ分くらいの量でも一箱分の値段にも至らぬほどの安さである。味の方も勿論満足レベルである。わざわざ遠くからやって来て旅費も掛っているのだけど、そのようなことは一切忘れるほどの嬉しさを覚えた。来年もまた来なくちゃと思った。

ミカンを手に入れた後は、今夜の宿と決めている九度山町にある道の駅:柿の郷くどやまに向かって出発。有田ICから阪和道で和歌山ICで行って降りて、あとは紀の川沿いのR24を走って、紀の川が吉野川と変わる上流近くまで幾つかの道の駅などに寄りながら夕方前には着くようにと考えている。紀の川の両端のエリアは果物などの産地が広がっており、この時期は柿が主流となっている。目指す九度山町も道の駅に柿の郷と名付けているほどだ。柿を手に入れるのも又、今回の旅の目的の一つなのである。

和歌山ICで下りた後は、R24を順調に走り続ける。岩出市というあまり馴染みのない街があるのだが、ここは何だか異常に市街地化している感じがするところで、市のどの辺りを走っているのかよく判らないのだが、R24の両側には幾つものショッピングモールやその他さまざまの販売施設が続いており、給油価格などもかなり安いのに驚かされた。関東に住む者には未知の都市なのだが、関西南部エリアの中では、かなり発展著しい街なのだろうなと思った。少し走って、紀の川市に新しく出来た道の駅:青洲の里という所に寄って見たのだが、ここは駅舎がどれなのかも判らず、物産販売所も閉まっていたので、そのままパスした。

間もなく葛城町に入り、道の駅:紀の川万葉の里に寄り、柿を物色する。柿は九度山の道の駅で求めればいいと思っていたのだが、家内は何か気に入ったらしき柿を見つけて買い入れたようだった。少し休んで、近くに出来た新しい道の駅:かつらぎ西という所へ行って見ることにした。ここは京奈和道のかつらぎ西ICの近くに設けられていて、そこへ行くのに少し迷ったのだが、行って見たら、未だ完全には出来上がっておらず、アンテナショップの様な形で営業されていた。高速道利用者向けの道の駅のようである。

そのあと今日のゴールの九度山町の道の駅へ。今日ここを泊りにと選んだのは、明日九度山町の史跡などを散策しようと考えているからなのである。勿論その中心は、真田昌幸・幸村の一族が暮らした跡であり、先月の越後・信州の旅で訪ねた真田の本拠地に続いて、隠居を余儀なくされたその暮らしの様子などを探って見たいと思っているからなのである。今は開発が進んで柿などの名産地となっているけど、400年前の九度山は山深き人の住み家も疎らな土地だったに違いない。そのような中でどのような暮らしを送っていたのか知りたいと思った。

この道の駅を訪れるのは二度目である。前回は出来たばかりの時だったので、大変な混雑ぶりだった。今回はどうかなとやって来たのだが、大河ドラマ真田丸の影響もあるのか、やはり大変な混みようで駐車スペースを探すのに苦労した。夕方になれば空くだろうと、取り敢えず空いていたスペースに車を留め、しばらく駅舎の中の町の案内情報などに目を通す。資料類の他、大型の写真などで町の歴史を紹介するコーナーもあり、いい勉強になった。その後、物産品売り場も覗いてその盛況ぶりを見て回った。今は柿が旬の時であり、巨大なものから小型のものまで様々なサイズの柿が所狭しと並んでいた。道の駅が盛況なのを見ると嬉しい気分になる。

夕食までには未だ少し時間があるなと思い、車の中で資料などを見ていたら、外で「山本さん、山本さんですか?」と呼ぶ声がした。家内が「は~い」と出て対応すると、どなたなのかご婦人のようで、SUN号の表示を見て声をかけて下さったらしい。自分も外に出て話を交わす。静岡県の方からいらっしゃった方で、自分のブログを読んで下さっており、今日偶然ここへ来て車を見かけ、声をかけられたとのことだった。その後しばらく夕暮れの中での立ち話となった。その方は驚くほど自分のブログをよく読まれて覚えていらっしゃって、それはもう自分以上に内容を知り尽くしているかの如くだった。このような方もいらっしゃるのだと、お話を伺いながら、もっとしっかり書かないといけないなと反省させられた。10数分の短い時間だったが、とても嬉しい、ありがたい時間だった。その方はお名前もおっしゃらずに、これからご主人と次の場所に向けて出発されるとのこと。

この頃は旅に出ると、時々このような僥倖に出会うことがある。何よりも嬉しいのは、まだ一度もお会いしたことがない方とのご縁が、既に出来上がっているのを知らされることである。ネット社会の恵みなのであろうか。世の中の広がりを実感できることは嬉しいことである。人は何もしなければ、自分の回りに何の変化も起こすことはできない。ブログを書き、読んで頂き、その結果が新しい自分の世界を一つ拡げることにつながるというのは、自分が生きている価値を確認できた一つの証のようにも思えるのである。

その方とお別れしてから間もなく、周辺は夕闇に包まれ出し、一気に夜が迫ってきた。さすがの混雑も潮が引くように収まって静かになり、泊りらしき車も数えるほどになった。いつものペースで夕食を済ませ、今夜も早い就寝となる。

 

コメント
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