第6日<11月23日:水> 天気: 曇り
<行程>
道の駅:柿の郷くどやま →(R24・R370)→ 道の駅:宇陀路大宇陀[奈良県宇陀市] →(R370・R165他)→ 室生寺参詣・探訪[奈良県宇陀市] →(R165・R370)→ 道の駅:宇陀路大宇陀 →(R166)→ 道の駅:飯高駅[三重県松阪市] 走行141km
<レポート>
朝になった。静かである。外に出たら、どこからなのか外国から来た若い男性からおはようございますと声をかけられた。どうやら高野山にでも上る予定らしい。若い時にこのような体験を積むことは、あとで人生の大きな財産になるに違いない。いいなと思った。
さて、今日はどうするか。当初の予定では真田一家の暮らしの跡などを辿ることにしていたのだが、天気予報では今日は曇りらしいのだが、明日は雨になるという。明日は室生寺に参詣しようと思っていたのだが、雨になるとちょっときついなと思った。昨日読んだ資料などからは、真田一家の遺跡などはそれほど多くはなさそうだし、急ぐ必要もないので、今回は止めにすることにして、室生寺参詣を優先させることに決めた。室生寺は何度も訪れているのだが、今回は特に家内の要望が強い。というのも京都での古寺参詣では何か満たされぬものがあり、改めて本物のお寺の風情を味わいたいと思ったのであろう。それは自分にとっても同じような気持なのである。
ということで、あっさり予定を変更して室生寺へ向かうことにして出発。京奈和道で五條まで行き、そこからR24、R370などを通って、途中の道の駅:宇陀路大宇陀に寄り、昼食用の柿の葉寿司をオーダーする。帰りに寄って受け取ることにした。これらはすべて家内の係わることで、どういうわけなのか今回は特に柿の葉寿司に取りつかれているようだ。実は昨日も手に入れて夕食に供したのだが、家内にはモチモチしていて食べにくいとかで、結局自分一人で全部を平らげてしまったのだ。そのことがあってか、こだわるのであろう。
その後榛原町の判りにくい道に惑わされながら、少し手間取って室生寺近くの駐車場に着く。思ったよりも空いていたので安堵した。早速参詣に出向く。入口の室生川にかかる太鼓橋の上から紅葉を見る。もう最盛期は過ぎたようだけど、未だ魅力は残っているレベルだった。拝観料を払って境内の中に足を入れる。室生寺はいわゆる女人高野と呼ばれていることでも有名だ。参詣に関して男と女を区別したり、差別したりするというのは、衆生一切を救うのを目的とする仏道の世界では、邪道のように思うけど、それが当たり前という時代があったのは事実であり、人間というのは、どうでもいいような理屈をこねまわして、格好をつけたがる生き物なのだなと、ここへ来る度に思うのである。
室生寺山門の雄姿。この門を潜ると浮かれた心も、悩む心も何か厳かなものに包まれて、安心の世界に一歩が踏み出せるような気持ちになる
大きな石段をゆっくり上ると正面が金堂でその脇に御勒堂がある。いずれも背景に紅葉の樹木を控えて、いつものような静かな佇まいだった。更に少し石段を登るとそこに本堂があり、少し上の左の方に国宝の五重塔が形よく鎮座していた。いつもと同じ景観がそこにあった。それぞれにお参りした後は、奥の院まで往復することにして先に進む。
室生寺の金堂に至る石段の紅葉。大きな自然石を組み立てて作った石段には、過去この石段を踏みしめながら登った人たちの、一つ一つの思いが浸み込んでいるような気がした。
国宝の室生寺五重塔。台風で杉の大木の倒木が直撃して壊されて修復してからは、若々しい彩の存在となった。小型の愛らしく美しい置物のような感じにとらわれるのは、この塔が女人高野と呼ばれるシンボルであるからなのかもしれない。
石段は次第に急になり出し、家内の足は大丈夫かと気になったが、それは本人に任せてマイペースで上り続けることにした。2千段の石段昇降をやって以来、この程度の石段にはさほど大変さを感じなくなっているのは、効果が出ているということなのだろう。間もなく上り切って御影堂に着く。ここには納経帳を持った人たちが列を作っていた。今頃は納経が又流行り出したのかなと思った。お経も読まず、書くことも無く、ただ寺の毛筆サインとスタンプを押して貰うだけで、御利益があるのだから、そのような振る舞いがあってもいいのかもしれない。仏様は寛大だから微笑みなが見守ってくださっているのであろう。
絵馬堂のような建物の反対側に行くと、そこから室生川の刻む渓谷のせせらぎが聞こえて来た。谷間の向こうには小さな集落のたたずまいを見下ろすことが出来る。紅葉の彩の向こうの景色は心を落ち着かせてくれるものがある。しばらく待って、納経所の方に行ったら、既に到着した家内が坐っているのを見つけて、何だ、何でもなかったのかと不思議を感じた。このような場所に来ると、別人の力が備わるのかもしれないと思ったりした。
少し休憩した後、深山の空気を味わいながらゆっくりと下山を開始する。この谷間には天然記念物の暖地性シダの群落があり、杉の大木も多くて、空気は浄化されている。足元に注意しながら下山を楽しんで、五重塔まで来て、ここで家内とは別れて自分は先に戻ることにした。家内の方は金堂に鎮座する仏像などをじっくり愛でるとのこと。広い境内を寄り道をしながら歩き回って、間もなく車に戻る。
やはり室生寺に来て良かったなと思った。先日の京都のお寺とは雲泥の差がある。京都だって蟻の行列がなければ、それなりに落ち着いた雰囲気が醸されるに違いない。だから不満や愚痴を言うのは至当ではないのだが、あの蟻の行列では、もはやお寺ではなくなっており、ただの観光客用のジャパニーズ寺院となってしまっている。室生寺もそれなりに観光客は多いのだけれど、深山幽谷の趣があるから、蟻の行列はここまではやって来ないのではないかと思う。京都の寺院を気の毒に思った。
室生寺の参詣を終えた後は、もう本番の帰途につくだけである。今日の泊りは、この後道の駅:宇陀路大宇陀に寄ってオーダーしている柿の葉寿司を頂いたあと、伊勢街道の一つとなるのか、和歌山街道というのか、のR166を通って松阪市に入り、道の駅:飯高駅に泊ることにしている。道の駅:飯高駅には温泉施設も併設されていて、その湯の素晴らしさは良く承知している。今回もその恵みを享受したいと思っている。
来た道を戻って、間もなく道の駅:宇陀路大宇陀に寄る。この道の駅は奈良の神社やお寺巡りの際の拠点として何度も利用させて頂いており、関西エリアに来た時は必ずお世話になっている場所だ。昨年来た時には工事中だった駅構内の駐車場はもう完成していて、以前とは違ったレイアウトとなっている。我がSUN号にとってはありがたくないものとなってしまっていた。駐車ラインの線引きが狭くて、駐車しにくい形となってしまっていた。これからは少し離れているけど、第2駐車場にお世話になることになるなと思った。家内は幾つもの柿の葉寿司の入った袋を抱えて戻って来た。直ぐに出発する。
R166は、いつも不思議な気分にさせられる道である。この道は大宇陀の道の駅を出てから旧菟田野町や東吉野町を通って高見山のトンネルを潜って松阪市エリアに出るのだが、何年か前にこの道を通った時に、時間が止まっているのを実感したのである。高見トンネルを潜る前に気づいたのだが、道脇の植物類の全てがそよとも動かずに静止していた。風がなくても何かしら動くものはある筈なのに、ここの空間では全てのものが動かず静止していた。その空気はトンネルを抜けて松阪市エリアに入ってからもしばらく続いたのだ。人家はあっても人は見掛けられず、犬や猫や鶏の声も聞こえず、本当に時間が止まった異次元の世界に入ってしまったような錯覚を覚えたのだ。そのあとも何回か通っているのだけど、いつも同じような感覚に襲われるのである。さて、今回はどうなのかと思いながら行ったのだが、部分的にそのような感覚を覚える場所はあったが、ススキの穂が揺れていたので、なぜかホッとしたのだった。
山を下り、少し道幅の細くなっている集落エリアを抜けて、間もなく道の駅に到着する。今にも雨が降り出しそうな空模様となっていた。ここは南と北に高い山が連なっており、TVは地デジは全くダメで、BSしか見ることはできない。ラジオもあまりよく聞こえない。相撲は諦めて、先ずは温泉に行って温まって、早めに寝ることにした。夜半から雨が降り出し、明け方まで天井を叩き続けていた。