山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘16年 東北春短か旅の旅を終えて

2016-06-05 05:02:25 | くるま旅くらしの話

【旅を終えて】

 冬が終わって、春の旅のシーズンとなると例年4月末辺りから東北の旅に出かけるのだが、今年はその出発時期が少し遅れて5月の半ばに入ってからとなった。一つには連休の混雑を避けたいという気持ちがあり、もう一つは事情があって本当に旅に出かけてしまっていいのかというためらいがあったからなのである。でも思い切って出掛けて良かったと思っている。当初の予定では2週間ほどを考えていたが、それよりもほんの少し長い期間の旅となった。

 今回のテーマは、相棒の言を尊重して、「ゆっくり」を大事にすることとした。ゆっくりというのは、余裕のある旅という意味である。これは概ね達成できていると思うのだが、結果的に走行距離の1日平均距離を計算してみると、148kmも走っており、何だかゆっくりではなかったようにも思える。しかし、走行の時間帯は殆どが午前中であり、早めに目的地に着いて、その後はあまり動き回らないようにして、相棒が疲れ果てて温泉に入る元気も無くなってしまうようなことは一度も起こらなかった。当初の計画が2週間だったのを、更に一週間を付加したので、余裕日が7日間もあることになり、急ぐ心配が無くなったのが良かったのだと思う。自分が老人であることをかなり意識しての旅だったのだが、まあ、こんなもので丁度良いのかもしれないなと思った。

 コースとしては、先ず福島県、宮城県、岩手県と東北の中央圏を北上し、それから太平洋側に出て北上を続け、青森県に至って日本海側に回り、その後再び中央圏を今度は南下して、岩手県、秋田県の山岳部を経由して日本海側に至り、その後しばらく南下を続けて新潟県から再び山岳地帯に入り、群馬県から山越えで栃木県の日光市に至り、その後は茨城県の自宅を目指すというコースだった。全走行距離が2,516kmとなっていた。

 春の東北の旅の楽しみは、山菜と野草たちの花の鑑賞である。今回はそのいずれもが時期を失しており、何時もは逢える二輪草やカタクリ、菊咲きイチゲの花たちには逢うことができなかった。山菜の方も最盛期を大きく過ぎており、いつも溢れんばかりに賑わっている地元の地産品の店の売り場には、ほんのわずかの種類の山菜が見られる程度だった。これは予想していたことなので仕方が無いのだが、それにしても毎年の温暖化はかなり進んでいる感じがした。十和田湖の上方の山岳地帯には少しぐらいは残雪が見られるかと期待していたのだが、もうすっかり緑の世界に変わっていて、雪解けの水もとっくに下界へ奔り去ってしまっている感じがした。ただ、鳥海山麓を走るブルーラインという道には、鳥海山の6合目あたりを走ることもあって、間近に残雪を見ることができ、更に岩かげにイワカガミの美麗な花を見出すことができ、救われた気分になった。次回はもっと早く来なければならないなと、強く思った。

 今回の旅の中で印象に残ったことを挙げるとすれば、次のようなものを思い起こすことができる。

①  毛越寺・中尊寺・骨寺荘園跡という世界遺産のセットになったエリアの探訪

骨寺荘園跡は世界遺産の指定からは外れているけど、中尊寺とは深く係わっており、自分的には外してはならない場所だと思っている。この中で、今回は特に毛越寺を丁寧に散策して、往時の為政者たちの願望である浄土庭園というものに思いを馳せた。自分には未だに浄土なるあの世のイメージが描けないのだが、毛越寺庭園を見ていると、今の世よりはすっと解り易いなと思った。今の世の浄土がどんなものなのか、科学の発展は、人間が描く空想の世界を次第に狭隘で貧困なものとしてゆくような気がする。

②  遠野の荒川高原牧場再訪と早池峰神社参拝

ここには一昨年も訪れているのだが、同じ場所を再訪するのも旅の一つの面白さではないかと、この頃思うようになっている。初めて訪れる時は新鮮な感動をモノにすることができるのだが、二度目となると、浮ついた気分がなくなり、本物の姿を見ようとする意識が働くのである。前回見落としていたことに気づいて、一人首肯することなども結構多いのである。今回の荒川高原牧場は、前回は天侯のこともあって、そのほんの一部しか見ていなかったことに気づかされた。前回見たイメージよりもはるかに広大で、そのスケールは日本一といわれる北海道上士幌町のナイタイ高原牧場には及ばずとも、かなりのものである。何よりも凄いと思うのは、この牧場が江戸の昔から開拓され用いられていたということであろう。夏山冬里の意味がより一層鮮明になったように思った。

また、早池峰神社参拝は二度目だったが、建物や屋根の修復が為されていて以前の厳めしい様相が一変していて、新品(?)になっているのを不思議に思った。この参拝の翌日だったか、偶然にも道の駅:やまびこ館という所で、早池峰神楽というのを見ることができたのもラッキーだった。道の駅:やまびこ館は、参拝した早池峰神社とは早池峰山を挟んで反対側の北側に位置しているのだが、この神楽は早池峰神社に奉納されることもあるのだろうなと思った。

③  奥入瀬渓流の散策と昼寝

春に東北を訪ねる時は奥入瀬渓流を外すことはない。今回も大いに楽しみたいと思いながらの来訪だった。野草の花たちは、すでに新緑の中に消え去っていたが、未だ咲き残っている山ツツジの赤は、鮮緑の森の中に際立った存在だった。それが水辺で渓流を染めて咲いている姿も印象的だった。何よりの贅沢を味わったのは、この緑の世界の中で、しばらく惰眠を楽しんだということかもしれない。車旅ならではの恵みだった。

④  五所川原の旧平山家探訪と鰺ヶ沢の焼きイカ。

青森県関係では、今回田舎館村の田んぼ絵の現在を見たいと思っていたのだが、未だ田植が始まっていないようだった。少し足を伸ばして五所川原市内にある歴史民俗資料館を訪ねたのだが、ここは開店休業の状態だった。その隣に旧平山家住宅というのがあり、この地の古くからの豪農の居宅だったものが重文の指定を受けており、それを見ることができた。この家は曲がり屋ではなく、長方形の家屋で、その中には厩もあって何と数匹の馬を飼っていたとのこと。造りも耐震構造となっており、時代を超えて人間の知恵はそれなりに発揮されているのだなと思った。

また、この日は津軽市にある道の駅:もりた(=森田)に泊ったのだが、この夜は隣の鰺ヶ沢町の名物の焼きイカを手に入れて、久しぶりのこの地で味わう美味さを体感した。鰺ヶ沢の焼きイカは、この地を訪ねるようになって、早や20年来となる自分たちの旅の楽しみである。この地の焼きイカはこの地でなければ味わえない、特別のものなのだと思っている。

⑤  八幡平高原の水芭蕉とヤマザクラ。

途中の山間部の走行中に、何度も水芭蕉たちに出会っていたけど、既に皆大きな葉を広げていて、すっかり芭蕉そのものの葉になってしまっていたのだった。しかし、八幡平高原を通っていると、丁度峠辺りになると思われる場所で、残雪の水たまりの中に小さな白い花を咲かせている水芭蕉を見つけた。良く見ると辺り一面の湿地に花が群れ咲いていた。コブシの花などに混ざって、満開となっているヤマザクラがあるのを見つけて、感動した。未だ春が始まったばかりの場所もあるのに気がついて、ホットした気分になった。

⑥  乳頭温泉のブナ林の新緑

秋田駒ヶ岳のすぐ近くにある乳頭温泉卿は秘湯の趣に溢れた温泉場が多い。今回は秘湯ではなく休暇村乳頭温泉という宿の湯に入らせて頂いたのだが、これが実にすばらしかった。温泉も良かったが、それ以上に温泉の露天風呂から見るブナ林の新緑が身体も心も浄化してくれた。生え揃ったブナの木々はそれほど年を経たものではなく、それゆえに木々の新緑は柔らかく日の光を包んで、旅のストレスを溶解してくれたのだった。

⑦  角館町の早朝散歩

角館には何度も来ており、我が家の味噌は今でも角館産を使用しており、この町とは関わりが深い。来訪の時期は殆どが桜の季節なのだが、今回のように葉桜の時期さえも終わったタイミングは初めてのような気がする。未だ観光客が殆ど歩いていない朝の町中を歩くのは久しぶりのことだった。武家屋敷は枝垂れ桜の大木の燃える緑に包まれて、今日の一日を始める前の静かさの中にあった。その中をゆっくりと歩を進める。武家屋敷から少し離れた場所にある旧松本家が一番気に入っているのだが、小人組という下級武士の屋敷だったというこの家は、そこに住む人の質素な暮らしぶりが目に浮かぶようで、上級武士の大きな屋敷よりも親近感を覚えるのである。また、ここへ来るといつもこの町の鎮守社であろう神明社へ参拝することにしている。それは旅の大先達の一人、菅江真澄の終焉の地が此処であり、その碑が建てられているからである。「菅江真澄遊覧記」は愛読書の一つであり、わが旅日記もそのまねごとを記しているようなものだ。

⑧  碧祥寺博物館

ここへ行くのは初めてだった。旅に出かける数日前に、新日本風土記だったかの番組を見ていたら、西和賀町という所の暮らしが紹介されていた。和賀岳は知っているけど、地図を見てもそのような町はない。調べたら合併してできた町だった。その町の沢内地区にある碧祥寺という所に博物館があり、雪国に住む人たちの暮らしぶりに係わる資料等がたくさんあるという。マタギの暮らしぶりなども解るという。和賀岳といえば、岩手県と秋田県にまたがる深い山であり、自分的には天然のマイタケが採れる場所くらいにしか思っていなかったのだが、この雪深い国に住む人たちの往時の暮らしぶりはどうだったのかを知りたくなり、予め地図にメモを付しておいたのである。

行ってみた碧祥寺博物館は、思っていた以上にスケールの大きなものだった。雪国に暮らす昔の人たちの暮らしに用いられた様々な用具などが展示されていて、テーマごとに展示館が別れて幾つもあるのである。とても気まぐれの訪問などでは見切れるものではなかった。迂闊さに気づかされた。一応ざっとは見たのだけど、ここにはもう一度時間を用意して再訪しなければならないと思った。多くの歴史民俗資料館の類を見て来たけど、ここはその中でも最大級だなと思った。

⑨  あがりこ大王と獅子が鼻湿原の散策

  あがりこというのは、ブナの切り株と一緒に根元に生えた幼木がそのまま生長して大木となったものであり、その中の最大級の一本に大王という呼び名が贈られている。あがりこ大王は、いわば人間の止むをえぬ蛮行が生み出したものだ。炭を焼いて暮らしの生計を維持するためにブナの木を伐ったのだが、枯れない配慮をしたところが救われるというものであろう。この樹に逢うのは二度目だった。相棒にも逢わせたくて、今回は二人での参上となった。 森の中に鎮座するその姿には、生き物の業の様なものを感じたのだった。その後の森の水郷とも思われる獅子が鼻湿原の中の歩きは、ハンディのあるはずの相棒でさえも、疲れを忘れて、マイナスイオンの溢れる新緑の世界に浸ることを得たのだった。

⑩  羽黒山五重塔

   羽黒山への参拝は三度目だろうか。今回は相棒のたっての希望で特に国宝の五重塔を見たいというので訪れることとなった。羽黒山は山伏の修験道の場所として有名だ。お寺なのか、それとも神社なのか、ここへ来るとそれがどちらであっても構わないという気分になる。五重塔は元はお寺の本堂だったとか。しかし出羽三山はお寺ではなく神社というべきであろう。明治の廃仏毀釈に当っては、政府はどのような解釈をして対処したのだろうか。毀釈の対象とはならず、今日につながって残っているのは何よりのことがなと思っている。爺杉と呼ばれる樹齢千年を超えるという大木の脇に鎮座する五重塔の姿は、厳しい東北の冬を何度も乗り越えて来た、枯れてはいるけど重厚な存在感を森の中に放っていた。示しているというよりも、やはり「放っていた」というのが自分の実感である。相棒が何を感じながらシャッターを切っていたのかは判らない。

⑪  ヒメサユリと栃尾のあぶらあげ

  旧下田村を初めて訪れたのは、2年前の佐渡からの帰り道だった。その時、この村の中にヒメサユリの群生地があるのを知った。そこはヒメサユリの小路と名付けられていて、かなり有名な場所らしい。その時は6月の下旬だったので、既に開花期は過ぎてい。それでも野次馬根性を止めることが出来ずに見に行ったのだが、あまりの急坂が続くので、途中で諦めて戻ったのである。その様なことがあったので、今回はひそかに期待した訪問だった。しかし、地元の人に聞いた話では、今年も開花は終わりに近付いており、ヒメサユリ祭りも明日で終わりというタイミングだったのである。ダメ元のつもりで訪ねたのだが、行って見るとまだまだ元気な花も残っており、長年の望みが叶えられて嬉しかった。ヒメサユリを見るのは初めてではないけど、これほど多くが群生している場所に来たのは初めてだった。百合の花は女性の美しさを例えるに用いられているけど、中にはあくどい花もあり、日本女性ならば山百合の清楚さよりも、このヒメサユリの小柄な優雅さこそ、それに相応しいように思う。それにしてもこのような静かな美しさを秘めた女性は、今の日本の何処に実在するのだろうか。真老のジジイであっても、それはやはり気になることなのである。

  ヒメサユリに感動しながら栃尾の道の駅に向かう途中に、この地の名物の油揚げを製造販売する店があり、そこでどっさり(?)と念願の油揚げを手に入れた。と言っても旅の途中なので、6枚が限度である。栃尾のあぶらあげは、今や関東一円でも販売されているようで、普段は高嶺の花のような存在なのだが、ここへ来ると手が届く花となって嬉しい。早速夕刻にはそれを味わった。

⑫  日光街道杉並木の早朝散歩

旅の最後の宿は、日光市の旧今市にある道の駅:日光だった。この道の駅に泊るのは初めてだったが、700mも歩くと旧日光街道の杉並木があるのを知り、大いに期待した。というのも歩くことを普段から糖尿君から厳しく奨められており、旅に出るとそれがなかなか実現できないのを悔いながらの旅だったからである。願ってもない最高の環境が傍にあると知って、翌朝は5時からの散歩に出かけたのだった。誰もいない早朝の散歩は、世界遺産の朝の空気を独り占めにして、何とも言えないいい気分だった。400年近い歴史を含むこの散歩道は、ただ両側に杉が植えられているだけではなく、水路も走っており、又途中には寺院やお墓の名残も幾つかあって、それなりの歴史を語っているのが解かった。2時間くらいの往復だったけど、歴史の重みを体感できる空間の中をしっかり歩いたという印象が残った。我が家からは比較的近い場所にあるので、これからも思い立った時には、ここへ来てこの感慨を何度でも味わいたいと思った。

雑駁な所感だけど、今回の旅の中ではこれらのことが印象に残った事柄である。

今までは旅に出ると人との出会いを大事にしてきたのだが、今回は成り行き任せとすることにした。とはどういうことかといえば、旅先で出会う様々な方たちに対して、こちらから近づいての出会いを求めないことにしたのである。向こうから出会いを求めて来られる方に対しては、常にオープンに接しようという考えは不変なのだけど、こちらからはもう真老の世界に入っているのだから、わざわざ迷惑も顧みずに働き掛けることもあるまいという考えなのである。相棒が外交官としての役割を果たすことも少なくなりつつあり、歳相応に控えめに行こうというのが現在の心境なのだ。これでいのだと思っている。

やや時期遅れの春の旅だったが、東北エリアは満面の新緑で迎えてくれた。その芽気味に感謝しながらこの綴りを終えることにしたい。

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