山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘16年 東北春短か旅 レポート <第17回>

2016-06-03 02:34:44 | くるま旅くらしの話

【今日(6/1)の予定】 

  道の駅:日光 → (R119・他)→ 宇都宮市内コインランドリー →(R119・R121)→ 道の駅:うつのみやろまんちっくむら(泊)

【昨日(5/31)のレポート】  天気:曇り時々晴れ

<行程>

道の駅:R290とちお →(R290・R252・R17)→ 湯沢IC →(関越道)→ 沼田IC →(R120)→ 道の駅:白沢 →(R120)→ 日光・龍頭の滝 →(R120・R119)→ 道の駅:日光(泊)

<レポート>

 いろいろ考えて、帰宅日は6月2日にしようと決めた。この二日間は、普段なかなか訪ねる機会のない群馬県や栃木県の、未だじっくり足を留めて見ていない場所に寄りながら帰ることにしようと考えていたのだが、これが朝の出来事で不意になってしまい、変更を余儀なくされたのだった。

 今朝は二つの大きな出来事が発生した。先ず最初に困惑したのは、ブログの発信が出来なくなってしまったこと。出来ないわけでもないのだが、実態としては文字は送れても写真が送れなくなってしまったこと。というのは、過日相棒がガラ携をスマホに変更した時に、今までは旅の間だけ使うことにしていたドコモのクロッシ―の契約を、通信費用の安くなるスマホと一本化した契約に切り替えたのだが、その内容というのが、あるレベルを超えて使用した場合、通信速度が遅くなるというものだった。5月の16日から旅先でのネットを使い出して、14日目で残量の警告があったのだが、とうとう今朝になってその残量がなくなってしまい、通信速度の遅いスピードの世界に入ってしまったのである。初めて体験する世界だった。まあ、スピードは遅くなっても、なんとかなるのだろうと思っていたのだが、これが見当違いだった。文字の方は問題なしに送れるのだが、写真の方がダメなのである。写真を張り付けるのを前提に文章を書いているので、送れないとなると書き改めなければならない。この切り替えはそう簡単ではない。よって、発信するのは止めることにして、帰宅してから改めて追加報告することにした。残りは3日分だけなのに、毎日ご覧頂いている方には申し訳ない。お許しあれ。

 それからもう一つ事件が起こった。出発間際になって、相棒が車内を整理中にぎっくり腰を発症したのである。これはもう相棒のクセのようなものなのだが、重症ではないとしても、ア!イタタ~と来れば、旅先ではもはや健常者ではない存在となってしまう。予定している散策や探訪の類の歩きを伴った行動は困難になり、無理をすれば更に悪化の悪循環に入り込んでしまう。不注意と日頃の鍛錬不足に少々腹が立つのだが、大病を患ってハンディ大と考えている相棒を責めるわけにもゆかない。ま、今回はゆっくりの旅でやって来たのだが、先日のあがりこ大王の探訪や羽黒山参拝、それに昨日のヒメサユリの小路散策などかなりハードな歩行もあったので、その疲れが影響しているのかもしれない。とにかく起こってしまったことは仕方がないのである。

 ということで、当初の予定を大幅に変更しすることにした。ベストは今日中に高速道を走って帰宅することなのかもしれないけど、相棒に訊くと承服し難い顔をしている。もう少し様子を見たいらしい。それで、沼田までは当初の予定通りとして、その先沼田城跡の散策は止めることにし、伊香保温泉に入るのも止めにして、沼田からは少し坂道が続くけど、新緑の世界を楽しみながら尾瀬の片品村を通って、日光白根山脇の金精峠を越え、奥日光からの坂を下って、日光市の今市地区に新しく出来た道の駅:日光に泊ることにした。これならば距離も短く、車の中で過ごすにはさほど負担も多くはなかろうという判断だった。とにかく、旅先での健康や体調不安には困惑するのである。

 前置きというのか、言い訳け的な説明が長くなったが、そのようなわけで大きな変更を余儀なくされたのだった。今朝の栃尾の道の駅では、どういうわけなのか早朝の5時過ぎから車の外が賑やかになり出し、何事かと窓の外を見ると、何と消防自動車が2台も来ており、その他にいつの間にか20台を超える車が並んでいて驚いた。以前どこかの道の駅に泊った時、真夜中に同じように数台の消防自動車が警告灯を点滅させながらやって来て驚いたことがあったのを思い出した。あの時は何やら爆発物のようなものが道の駅のどこかに仕掛けられたとの情報があったとか聞いたけど、ガセネタだったらしく何事もなかった。今回は何なのだろうと思って見ていたら、どうやら消防団の人たちの消火訓練のようだった。消防団はアマチュアのメンバーで構成されているので、今日は消防署のプロの人たちの指導を受けての訓練を行うことらしい。もしかしたら、この地域では毎朝このような形で訓練を行っているのかもしれないなと思った。この頃は消火のみならず防災に係わるニーズ大の出来事が多発しているので、それに備えてのこのような取り組みは大切だなとも思った。号令のもとに隊列を整え、きびきびとした動作を続けている方たちの姿を見ていると、早朝から騒々しくて迷惑などという気持は無くなっていた。

   

栃尾の道の駅では、早朝から地元の消防団の人たちが熱心に消火訓練に励んでいた。

 そのような出来事もあって、今朝は落ち着かなかったのだが、9時少し前の出発となった。関越道に出るまでは、先ずは栃尾からR290を行って入広瀬からR252を小出の方に向かい、R17を南下して三国峠方面へ向かうことになる。栃尾からはしばらく上り坂が続き、やがて今度は下りの道となって入広瀬の集落が近づいてくる。この辺りは中越大地震で大被害を被った山古志村にも近く、当時は被災された方も多かったに違いない。何度かこの辺りを通っているけど、いつも残雪のある時期だったので、緑の平和な世界の中に落ち着いている集落の姿を見るのは初めてのことだった。そのあと、小出町に向かう道は高低差があまりが無くて走り易かった。この道を走るのは初めてだったが、思ったより多くの人家が道脇に続いており、いいところなのだなと思った。小出に出てR17に出て少し行くと、道の駅:ゆのたにという案内板があったので、そこに寄って一休みすることにした。相棒の調子は歩けないほどではなく、無理が利かないというレベルのようである。

 その後はしばらくR17を道なりに走り続ける。R17は幹線道路の一つであり、交通量も多いのだが、さすがにこの辺りになると赤信号で溜まる車も少なかった。当初の予定では塩沢石打ICから高速に入る予定だったが、道も空いているし急ぐ必要もないので、途中の道の駅:南魚沼に寄ったりしながら、ちんたらと進み、湯沢ICから関越道に入る。湯沢から県境を越えて群馬県の月夜野町に至るまでのR17はとんだ山道なので、このエリアは高速道を利用した方が老人にはず~っと楽である。湯沢ICを入ると間もなく関越トンネルに入る。長い。11km超もあり、日本の高速道のトンネルの中では現在2位の長さだとか。トンネルを走ると、事故のことを思ったりしてしまい、いざとなったらこのような長いトンネルの場合はどんな対応行動をとれば良いのか、などと複雑な気持ちになったりした。ようやくトンネルを抜け出て群馬県側に入り、谷川岳PAで小休止。ここには美味い水がある。一杯ご馳走になった。その後は直ぐに沼田ICが近づいて、ここで一般道のR120に入る。

沼田市は大河ドラマ真田丸にあやかって町を挙げて賑やかなようだ。何やら幟のようなものも見られた。今日は城跡のあった公園の方には寄らないことにして、元白沢村にある道の駅:白沢に寄り昼食休憩とする。白沢の道の駅は沼田城のあった場所につながる川岸段丘の上にあり、眼下に渓谷を見下ろす景観の素晴らしい場所にあり、温泉もあってその名も望郷の湯と名付けられている。この地出身の人ならずとも、この景色を眺めていると故郷のことを思い出すに違いない。そんな雰囲気のある場所だ。何度もお世話になっており、今日は昼食だけの時間だけど、産直販売所を覗いて高原野菜を買わせて頂いた。先ほどの南魚沼の道の駅で買ったコシヒカリのおにぎりは、やはり名に恥じず実に美味だった。しばらく休憩した後、片品村方面へ向かって出発する。

尾瀬沼への探訪は、片品村からが利便なようだ。自分はまだ一度も尾瀬を訪れたことが無く、この調子だと生涯写真で見るだけで終わりそうである。ま、他の湿原などはかなり多く訪ねているので、行けなくてもそれほど悔いは残らないと思っている。その尾瀬への道を通過して、厳しくなって来た山道をゆっくりと登り続ける。我がSUN号も14年を経過しており、老体となりつつある。無理をさせないように走らせるのは自分の使命だと思っている。金精峠は標高が恐らく2000m以上あるのではないか。道が比較的良い状態なので、さほど登りの辛さを感じないで済むのがありがたい。丸沼、菅沼を過ぎて間もなく峠下のトンネルを抜ける。ここから一気に視界が開けて、目の前に日光男体山がその荒々しい山容を現出していた。その奥に聳える女峰山もくっきりと見えて、大きな景観が広がっていた。下界の天気は分からないけど、今日のこの辺りの山の天気は上機嫌そのものだった。

曲がりの連続する道を慎重にハンドルを操作しながら長い坂を下る。間もなく湯元に出て、更に下って行くと中禅寺湖が近づき、竜頭の滝の上方の駐車場があった。ここで少し休むことにして。相棒は車に留まり、自分一人が滝を見に下方の駐車場の所まで階段を歩いて往復することにした。相棒は朝よりも痛みが増したようで、とても坂道を歩いて往復できる状態ではない。気の毒だけど仕方がない。竜頭の滝を見るのはしばらくぶりのことだ。日光といえば華厳の滝が有名だけど、この竜頭の滝もなかなかのもので、名瀑の一つに数えてもいいように思う。ごつごつした岩場の上を水が揉み合うようにして、白い飛沫を撒きながら音立てて奔る様は、如何にも竜が雄叫びをあげているのをイメージさせて豪快である。階段参道の山側には山ツツジの鮮やかな赤が、葉の緑に映えて一段と美しかった。相棒には悪いけど、一人たっぷり山と渓谷の風情を楽しんだ時間だった。

   

頭の滝。この滝は下方では流れが二つに分かれているけど、少し上のこの辺りは岩肌を急流がせめぎ合うように奔って流れている。

その後更に下って行くと、中禅寺湖の湖畔傍近くに、突然派手な赤い色の花を咲かせた植物の一団が現れた。驚いてスピードを下げて見て見ると、何と九輪草の群落だった。車を近くの駐車場に止め、カメラを持ち出して撮影することにした。これには相棒も参加して、しばらくの間彼女たちの姿をカメラに収めるのに専心した。かなり前からこの小さな湿地に自生しているのであろうか。いま、その花を最高の状態で咲かせている九輪草の群落は、まるで全草が歓喜の叫び声を上げているように見えた。今までいろいろな場所で九輪草を見て来ているけど、これほど見事に咲き揃っているのを見たことが無い。これも相棒が今朝、わざわざぎっくり腰になってくれたおかげなのかと、複雑に感謝した。禍福は糾える縄のごとしとは、このような出来事にも当てはまるのだろうか。とにかく嬉しくもありがたい鑑賞の時間だった。

    

     小さな湿地には見事な九輪草の群落が広がっていた。

       

九輪草の一株。九輪草の命名の由来は、花が九段に重なって咲くところから来ているようだ。咲き終わった跡を見てみるとそれが良く判る。 

今日の宿は、日光市内に新しく出来た道の駅:日光に泊ることにしている。日光市は平成の合併でわが国有数の広大な面積を有する市となっており、道の駅のある場所はどこなのかと思って調べたら、旧今市市内だった。途中の東照宮エリアで、相棒がカステラを手に入れたいというので、それを買ってから坂を下り、杉並木の脇の道をしばらく走ると道の駅のある市街地に入り、直ぐに道の駅に到着する。新しい道の駅は「日光ニコニコ本陣」という愛称で呼ばれており、日光観光の基地の一つとして機能させる目的もあって作られたとか。構内にはこの地出身なのか、作曲家の船村徹氏の記念館なども設けられていた。何と言っても一番いいなと思ったのは、日光街道の杉並木から700mほどの所にあり、明日の朝は、あこがれの散歩が叶うということである。大いに期待を膨らませた。

そのあとは、今夜はこのところ過食の嫌いがあるので、ご飯を炊くのは止め、栃尾で買ったあぶらあげを肴に一杯だけやって夕食とし、あとはTV休憩の後寝るだけとすることにした。あぶらあげの調理は自分の担当で、大きなあぶらあげの腹を裂いて、そこにネギと味噌を練ったものを塗り込み、それをフライパンの弱火でほど良く焼き回して、それで出来上がりである。真に簡単な一品だけど、他のあぶらあげでは決してできない美味な一品でもある。要はあぶらあげの中に何を入れて焼くのかだけである。この次は何を入れようかという楽しみがある。チーズをレタスに包んで焼くという参考メニューなどもあり、これも美味そうだ。栃尾のあぶらあげは、口に中に入れて、しばらく噛んだ後に美味さの本性がにじみ出てくるのが良い。それが酒の味を引き立たせ、口の中のうま味を感じさせる壁に感動を沁み込ませてくれるのである。と、そのようなことを為しながら、残り少なくなった旅の夜を迎える。相棒は静かである。明日までに復活すればいいのだが。

コメント
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