山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

筑波山登山の記(第12回)

2013-12-18 20:35:59 | 筑波山登山の記

<第12回 登山日 2013年12月17日(火)>

 今年最後の筑波山登山にチャレンジする。3月末から登山のための鍛錬を開始し、5月の初めに第1回の登頂をしたのだが、12回となれば、平均で毎月1回登ったことになる。当初の思いからはかなり後退した結果となったが、まあ無理をせずに体力を維持して行くことを考えると、初年度はこの程度でいいのだと勝手に思っている。

ということで、今回はご来光を拝もうと、3度目の暗闇登山となった。この頃の日の出はかなり遅くなってきており、6時40分を過ぎた時刻なので、出発もそれに合わせて少し遅らせたのだった。4時少し前に家を出たのだが、その時は空に薄く雲の幕がかかっているらしく、快晴ならかなり明るいはずの満月の月がかすんで見えていた。昨日は、終日かなり強い風な吹きまくり、今日の予報は晴れということだったので、空にそのような邪魔ものが張り出していようとは全く考えなかったのに、である。夜が明けるまでにはまだ時間があるので、それまでには良い方に変わって、日の出を拝むことが出来ることを願いつつの出発だった。

いつものように梅林近くの駐車場に車を置き、ケーブルカー駅近くの登山口を出発したのは、5時少し前だった。頭に付けた照明具の他に念のために今回は倅たち夫婦が誕生日のプレゼントとして買ってくれた小さなLEDの手元ランプも携帯しての歩きとなった。辺りは真っ暗で、月明かりもない暗闇である。今日は哲学の道のことなど考えず、淡々と一歩一歩の歩きを味わうことにした。一歩というのは、大変な重みを持っている。5000回ほどこの一歩を積み上げると筑波山女体山の頂上に届くのである。考えて見れば、たったの5千歩なのである。12回目の登山でも、最初の登山でも皆同じなのだ。同じゴールに届くためには、ほぼ同じ5千回の1歩を刻まなければならない。その一歩を踏み出す決断と継続こそが頂上へと辿り着く秘訣なのである。この頃は、そのことがよっく解ってきた。

6時半過ぎに頂上に辿り着いて、43分頃にご来光を拝する。雲の多い東の空だったけど、その邪魔していた雲たちが真っ赤に染まって、その彼方からの日の出は、前2回のご来光とは違った厳かさを示してくれた。やはり人間というのは、太陽あっての存在なのだと改めて思った。そうでなければ、これほど荘厳な感動を味わう筈がない。今日は自分の他にはたった一人だけの登山者しかおらず、二人占めのご来光を静かに味わったのだった。

     

今日(12/17)の女体山からのご来光。雲が多かったけど、その雲たちが真っ赤に染め上がって、その彼方からの日の出は、一層荘厳なものだった。

     

女体山の御本殿の様子。今日の始まりの旭光を受けて、鎮座する神様も心を新たにされているように思えた。

さて、今年の筑波山登山はこれで終わりである。来年は少なくともこの倍の回数は登ることにしたい。特に回数にこだわるわけではないけど、身体の衰えを少しでも遅らせ、くるま旅くらしの中での宝物探しを長らえるためには、鍛錬の成果を試す登山という実践行為が必要だと思っている。今年は、日に2回の登山にチャレンジするまでには至らなかったけど、来年はぜひともチャレンジしてみたいと思っている。又、旅先での登山にもチャレンジしてみたい。特に襟裳岬に近いアポイ岳には是非とも再挑戦してみたい。数年前に一度登っているのだけどその時には頂上に着いた時にはカメラの電池が切れてしまい、せっかくのこの地独特の野草などの写真を撮ることが出来ず、又下山後は鍛錬なしの無謀な登山だったので、全身が疼いて3日間ほどのたうち回った経験がある。その時のお礼を兼ねて再挑戦したいと思っている。高さも丁度筑波山と同じくらい(811m)なので、自分の身体の強さや弱さを確認するのにはちょうどいいのではないか。来年に期待しながら、最後に筑波山神社に参詣してお礼を述べ、今年の登山を終えたのだった。

     

筑波山神社本殿。下山してからの参詣だったが、まだ参詣者はいなくて、神社に務める白装束の人たちが境内を清めていた。無事に12回の登山を終えたことを感謝して祈りをささげ、車に戻った。

 

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