山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

茨城県の印象(出戻り在住者の所感)

2013-02-27 12:00:50 | 宵宵妄話

 妙なタイトルとなりました。最近、自分が今まで暮して来た場所についてあれこれ思うことがあります。特に我が生れ故郷であり、終の棲家ともなるであろう茨城県という地方について考えることがあり、そのことについて、ちょっと述べてみたいと思います。

手元に新聞の切り抜きが二枚あります。いずれも購読している東京新聞のもので、その一は、茨城版に掲載されていた各都道府県の魅力度、それから美肌県グランプリというものについての、茨城県の全国ランキングにかかわる記事です。それによると、茨城県の魅力度は全国47都道府県中ブービーの第46位、ご婦人の美肌県グランプリでは最下位の47位だったということでした。もう一つは、全国版のトップ記事として扱われた茨城県民の歌についてのものです。こちらの方は、歌詞の中に原子力礼賛のフレーズが入っており、これでは歌えないという県民の声が湧きだしているというのがその主な内容でした。何れの記事とも茨城県民としては嬉しくもない内容でした。

私は茨城県北の日立市生まれですが、育ったのは常陸大宮市であり、いわゆる幕藩体制の中では水戸藩の領地に含まれていた場所でした。水戸藩といえば、何といっても今の時代では黄門様が有名ですが、TVでおなじみのあの方は、95%以上が虚像です。否、そのズレはもっと大きいかも知れません。ご本人はあの世で苦笑を過ぎて怒っておられるかもしれません。水戸藩は、御三家の一つとして格式は高いのですが、尾張藩や紀州藩に比べて経済力はかなり劣っており、厳しい財政状態が続いていたようです。水戸光圀の大日本史の編纂にはかなりの費用がかかり、乏しい財政を一層圧迫したというのは、これはもう通説となっているようです。実際に自分が生まれ育った現常陸大宮市エリアなどを見ても、肥沃な田畑といえば久慈川や那珂川流域のほんの少しの平地しか見当たらず、下流の水戸市近郊でようやく少し広がりを見せているといった程度ですから、江戸の初期頃は未開発の荒れ地がもっともっと多かったのだと推測されます。

 貧乏藩なのに格式が高いというのは、実力を置き去りにしての矜持(きょうじ)(=誇り=プライド)ばかりが先行するという危険性を内包し易いように思いますが、水戸藩全体に(領民を含めて)そのような傾向があったことは否めないように思います。その気風は、江戸が終わり、明治、大正、昭和となっても、そして戦後十年以上が過ぎた自分の高校生時代の頃でも、未だその名残が息づいていたように思います。それは、一般的には「水戸ッポ」という呼ばれ方で、世間から呆れかえられるほどに、頑固で融通の利かない扱いにくい人種の産地と思われていたようです。世に三ポありと言われ、水戸の他に「薩摩ッポ」「土佐ッポ」が挙げられるようですが、薩摩は元々外様の代表的な藩で、江戸から遠くにあって自力で意地を通してきた存在でした。また、土佐は長曽我部の地侍としての意地が残った風土が息づく藩でした。二つの藩とも生来の土地に生え育った頑固者の矜持ですが、水戸といえばこれらに比べて、残念ながら生え抜きとは言えず、御三家の一つとして黄門さまの印籠を笠に着ての空威張りの感じが拭い得ません。   

私自身もご多分にもれず水戸ッポを自認し、頑固と言うのか、表面はともかく内心では決して信念を曲げないことにこだわっていました。それは今でもまだ抜けきれず、心と体のどこかに潜んでいる感じがします。そのような水戸ッポとして、最も自尊心を傷つけられるのが、他人(ひと)さまから見下げられ、蔑視されるような扱いです。この新聞記事の県の魅力度や美肌県グランプリで、全国ランクがブービー或いは最下位だったというのは、侮蔑にはならないとは思いますが、なんとなくそれに近い眼差しがわが郷土に住む人たちに向けられているようで、心地穏やかではありません。40年前だったら、相当に腹が立って、憤懣やる方ない気分になったに違いないのですが、さすがにこの年になっては、その愚かさにも気付くようになり、ほんの少し失笑するだけで終わらすことが出来そうです。

ところで、それにしてもブービーや最下位というのは穏やかではありません。県の魅力度の方は群馬県と並走する形で最下位を競っているとのことらしいですが、自分的には茨城県も群馬県も最下位近くにあるとはとても思えず、世人の見る目のレベルこそが問題であるように思えます。ものごとの真実というのはイメージだけではなく、あくまでも現地のその空気や実物に触れて感じとるものであり、それは比較などするのがナンセンスなのだと直ぐに気づくはずのものです。ま、この調査では、観光地などの有無とその宣伝活動等が大勢を占める要素なのでしょうから、魅力度=人気度という様なことになるのかもしれません。そうなると、茨城県の場合は最下位であっても致し方ないのかもしれません。取り敢えず甘受しておけばいいだけのことで、無理して目立つようなことをするのは不要と思います。

でも、もう一つの美肌県グランプリについては、これはもう礼を失している企画だと思います。どんな思いつきでこのような愚かな調査を行ったのか知れませんが、もし発表するのであれば、ベストテンくらいに止めるべきであり、敢えて最下位まで出すというのは愚かな行為のように思えます。相手はご婦人なのですぞ。だから化粧品をもっと買って綺麗になってくれというのであれば、それは消費者というものを愚弄していることになるのは明らかです。こんなデータをのうのうと発表するような会社の製品は、ワースト10県のご婦人は使うのをボイコットすべきです。新聞では、「働き者だからなの?」と慰め的な見出しが書かれていましたが、どこの県のご婦人だって皆働き者なのですから、単純に労働と美肌の関係が茨城県など下位県にだけ当てはまるとは到底思えません。ふざけた調査だなと思いました。全国八万人を対象にしたとのことですが、興味本位としか思えません。そもそも美肌なんぞというのは、個人差の問題であり、トータルしてそのエリアに美肌にあらずの婦人ばかりが住んでいるわけでもなく、この比較はメリットよりもデメリットの方がはるかに大きいと思います。美肌の人もおれば、そこまで行っていない人もおる、それは全国どこのエリアに行っても同じことだと、そう思って腹が立ちました。

もう一つの話題として、全国版に載った茨城県民の歌の歌詞についての記事ですが、私自身はこれを読んで初めてそのような県民の歌なるものがあることを知った次第です。参考までにその歌詞を紹介します。

1.空には筑波、白い雲

     野にはみどりをうつす水

     この美しい大地にうまれ

     明るく生きるよろこびが

  あすの希望をまねくのだ

  いばらき いばらき

  われらの茨城

 2.ゆたかなみのり 海の幸

      梅のほまれにかおるくに

      このかぎりない恵みをうけて

   おおしく励むいとなみが

   あすの郷土をつくるのだ

       いばらき いばらき

   われらの茨城

 3.世紀をひらく 原子の火

   寄せる新潮 鹿島灘

   このあたらしい 光をかかげ

   みんなで進む足なみが

       あすの文化をきずくのだ

   いばらき いばらき

   われらの茨城

問題は、この3番の歌詞にあるということでした。この歌が、どんな時に誰がどう歌うのか、メロディーも全く知らない出戻りの自分には、関係ないといえばその通りなのですが、一応は県民なので、歌うのはともかくとして、歌詞の文句ぐらいはやはり気にはなります。一読して、この3番の文語は改めるべきと強く思いました。原子の火がどのような種類のものなのかがはっきりした現在、その光を掲げて皆で足並みそろえての前進が、明日の文化を築くなどとは到底思えません。その火のおかげで、生まれ育った故郷を涙ながらに振り切って去らざるを得ず、未だいつ戻れるかも計り知れぬままに、異卿での暮らしを余儀なくされている何万人もの人たちが厳として顕在することを思う時、この歌詞通りに声を上げて歌う人がいたとしたら、それは異常者としか言い得ない存在です。この3番の歌詞は、即刻削除すべきです。そして、この歌は1・2番だけで充分ではないかとも思いました。その中に茨城県の魅力度も充分に歌い込まれているし、県民の意気を高める力も備わっているように思いました。県当局のどこの誰にその変更の権限があるのか判りませんが、早急に変更して欲しいものだと思いました。

さて、元に戻って、我が茨城県とはどのような場所だったのか、改めて思いを巡らせてみました。私の今までの人生の過ごした時間を県別にざっと挙げてみると、茨城県に29年、東京都に21年、神奈川県と福岡県に夫々7年、香川県に5年、千葉県で3年ほど暮しています。この中で茨城県は生まれてから前半の22年間を過ごし、後半は出戻って8年目を迎えています。神奈川県と千葉県は東京エリアですから、東京と同じと考えると、合計31年となり、生まれ育ち、再び舞い戻った茨城県よりも長い暮らしの時間を他所で過ごしたことなります。関西エリアで暮したことはないのですが、仕事の関係でほぼ全国を回っており、さらにリタイア後のくるま旅でも略全国を訪ねて来ていますので、さすがの水戸ッポも茨城県を見る目がこの間に随分と変わってきているのを実感しています。

今茨城県の印象を一言でいえば、「忘却限界の田舎の地」ということになるでしょうか。忘却限界とは、人々の意識の底に在って、不断は忘れられている存在といった意味で、私の勝手な造語です。茨城県は、大都市圏に隣接した、忘れられても何の支障もないエリアであり、その本質は人々の意識の中では田舎と規定されている場所なのです。

少し前の時代までは、都市部と比較しての田舎を表す言葉に「在」「在所」というのがありました。江戸時代では、現在の区部であってもその殆どが在所だったわけです。それを今の時代に当てはめると、東京を取り囲む隣接県は皆在所の資格を有していることになるのですが、その中で際立った特徴のない場所を多く抱えている茨城県は、最も忘却限界にフィットしたエリアとなり、それが田舎として人々の心の奥に定着しているのではないかと思うのです。つまり、大いなる東京の在所というのが茨城県の不断の存在であるということです。東京が際立って目立つ存在であるがゆえに、その近くの茨城県は、より一層目立たない存在となっているに違いありません。

茨城県に二度住んでみて、同じ県でも県南と県北では全然違うのを実感しています。県北は県都の水戸市を中心に茨城県のリーダー格を自認し、忘却限界を超えたプライドの高さがあったように思いますが、県南に住んでみると県北時代の思い上がりが笑いごとのように思えるほど、地元生え抜きの人の暮らしは豊かで、お寺の建物にも引けを取らない農家の豪邸を見る度に、とても同じ県なのだとは思えません。水戸の者なら、田舎者という評価に対して震えるほどの恥辱を覚えるのかも知れませんが、県南の人にはどこ吹く風といった受け止め方があるように思います。もともと田舎者なのに、何バカなことを言ってんの、という感じです。これは、どう考えても県南の人の勝ちでしょう。

今回の新聞記事を読んで、魅力度だとか、美肌グランプリだとか、世間体を気にすることなどは止めて、言いたい奴には勝手に言わせておけ、という気持ちになりました。私自身も県南に住んで8年目を迎え、これから先もあの世から迎えが来るまでこの地に住むことになるのでしょうから、忘却限界の田舎者に進化しなければならないと思いました。

(但し、原子の火に関しては断固として灯すことを拒否すべき考えに変わりはありません)

コメント (2)
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