山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

50歳を越えたら本気で70歳以降の人生を考えよう

2010-03-17 06:03:31 | 宵宵妄話

いタイトルを書きましたが、今頃70歳の玄関口に立って、ちょっぴり反省を交えながら私自身のこれからの人生への覚悟と、それに加えておこがましくもこれからやがては疑いもなく高齢者に近付くという後輩の諸氏に対して問題提起をしておきたいと考えました。今日はその話です。

この話は、本当は1冊の本にしたいほどのボリュームのある話なのですが、今日はホンの少しだけに止めたいと思います。この話の直接のきっかけになっているのは、グループホームの焼死事件です。

最近というか、この頃は火災のニュースが多く、しかも必ず痛ましい焼死者が出たことが併せて報道されています。それらのニュースの中で、最も痛切に悲哀を感ずるのは老人の集団焼死という事件です。

この話は、新たには先日札幌の認知症高齢者のグループホーム「みらいとんでん」で7名の方が亡くなられたこと、又過去では1年前に群馬県渋川市の老人施設「静養ホームたまゆら」で10人が犠牲となった事件が思い出されます。この二つの出来事は、この国の現在と未来を象徴しているのではないかと私には思えてならないのです。ニュース等では、施設の防火施設の不備とか訓練の不足、或いは施設運営管理体制の不備などが、同じように取り上げられて論ぜられていますが、それらは正にその通りなのだと思いますが、私にはその論議を聞いていてもなぜか空しいような感じがするのです。

その空しさはどこから来るのかといえば、施設の設備や経営のあり方などではなく、犠牲になった方たちの生き方、生き様、そしてそれに対する世の中全体の受け止め方、対応のあり方との実態からやってくるのです。私は現在古稀を迎えて70歳の入口に立っていますが、今回の犠牲になられた方たちとは、あと10年もすれば同世代となり、同じ様な事件に巻き込まれる可能性がより高くなります。そのことはある意味では絶対的な事実(=自分の力ではどうにもコントロール不能な出来事)なのかも知れません。

認知症というのは、人間として一人で生きてゆくという力を奪う恐ろしい病です。この病の恐ろしさは、人間でありながら人間でなくなるというところにあり、そのことは本人だけの問題ではなく、家族周辺を巻き込んだ、暮らしの破壊活動に繋がっています。誰かが必ず傍にいて面倒を見なければならず、又それが難しい時には施設等に委託しなければならないため、多大な費用を負担しなければなりません。一人の人間として生きてゆけない、悲しみや苦しみをさえも実感できない本人の存在が、周辺家族の平安を壊してゆくのです。認知症は本人個人の病ではなく、本人に最も身近な血縁社会である家族を破壊する社会病でもあるのです。

認知症の患者を預かっている病院での、その方たちの暮らしぶりを見ていますと、その悲惨レベルがどれほどのものかというのを実感できます。見舞いに来た人を認知できて、対話や会話が可能なレベルであっても、どこかにコミュニケーションの違和感が感ぜられますし、相手がいない一人での時間では殆ど無言か同じ動作の繰り返しであり、ただ生きているという力のない存在が、一層哀れを誘うのですが、本人にはそれが何なのかがわからないようです。このような姿を見ていて、もし自分がそうなってしまったら、どうすれば良いのか。そうならないためにはどうしたら良いのかを思わずにはいられません。

グループホームでの大量焼死者の事件は、このような高齢者の現状を含んで起っているものだということを承知しておく必要があり、その背景には、高齢者の個人としての生き方とその有り様とそれを受け止める社会体制のあり方という二つの重要な視点が秘められていると感じています。

くるま旅くらしの提唱の背景の一つとして、私は高齢者の生き方を活性化する働きがあることを強調していますが、生きがいや張り合いが失われた時に、その落胆がもたらす力が認知症に大きく係わっているのではないかと思っています。老化に伴うままならぬ自己コントロール力の低下に絶望し、落胆し、生きる張り合いや意味を失った時が認知症への入口であり、一旦そこに立ったならば一挙にレベルは悪化するように思えます。90歳を過ぎ、100歳を越えても矍鑠として毎日を過している人に共通しているのは、生きる楽しみ張り合いをしっかりと見出しているということではないかと思うのです。

今回のようなグループホームの悲惨な出来事を防ぐために、何よりも大切なことはグループホームなどのお世話にならない自分というものをしっかり作っておくことであり、それは気づいて取り組むのが早ければ早いほど良いということでしょう。しかし現実にはこのような個人の生き方についての社会啓蒙活動は殆どなされておらず、全て個人の裁量に委ねられているのが現実です。認知症は単なる病として扱われている感じがします。発症してからの病理現象として、治療の対象として扱われているようですが、薬などで治るような生易しい病ではないように思えてなりません。

高齢化と認知症が結びつくような社会は、過去にはあまり聞いたこともなかったのに、今何故なのかといえば、それは寿命(=平均余命)が伸びただけではなく、現在の高齢者が歩んできたのが、劇的とも言える社会変化の続く世の中だったからなのだと思うのです。第2次世界大戦を経験し、敗戦による戦後のどん底のくらしを経て、高度成長期から、気づけば高度情報社会の真っ只中。暮らしは楽になり、過去には夢だったものが今は当たり前となり、その恩恵を享受しているはずなのですが、本当のところは80歳を超えた世代で現代の情報化文明に対応できる人は、特別な人を覗いては殆どいない様に思えます。デジカメとカメラの違いがわかり、携帯電話と電話の違いがわかる高齢者は、数えるほどもいない感じがします。分ったふりをしている人は大勢いると思いますが、その心根はあやふやです。時代についてゆけず、自分自身の生きる拠り所を失えば、認知症への道が確実となるのは明らかです。

グループホームや多くの老人収容施設(語弊があるかも知れませんが姥捨て山よりはマシだと思います)は、時代に取り残された、かつての国づくりの貢献者の方々の、人生の終章における悲しいいこいの場であるように思えてなりません。そして油断をすれば、たちまち私自身もあっという間にそこへ移り住む危険性と可能性を孕んでいるのです。

個人から社会へと視点を変えてみた時に言えるのは、日本国の未来は老人の生き方が握っているということかと思います。通常なら国の未来は若者が担うのが当然であり、そこには新たな躍動感がイメージされるのだと思いますが、残念ながらこの国の未来は、人口の1/4を超える老人が握っているのです。老人の多くは生産活動からは次第に遠ざかるわけですから、国家予算の大半はこの老人によって費消されてゆくことになります。子供手当てを支給して将来の国の活性化につなげようというのが現政権の目玉施策の一つのようですが、この原資を難しくしているのが社会保障制度に係わるコストであり、その核に居座るのが老人なのだと思います。

病院が高齢者の社交場となっているなどという話を聞くと、真に居たたまれない気分になりますが、ある意味ではそのような老人を作ってきたという社会政策的な側面がこの国にはあったのではないかとも思うのです。何でもかんでも、ほんの少しでも体調が悪ければ直ぐに病院へ行き、薬を貰って安心と併せて、医師からもう一つ別の不安を提供して貰って再来し、その繰り返しで毎日を送るのは、ほかに本気になってやることがないからだとしたら、老人はこの国を蝕むばかりです。高齢者に生きがいを与える施策を本気で考えないと、この国は老人が病と一緒に食いつぶし兼ねないものとなってしまいます。これは悪夢ですが、正夢に転換する可能性を多分に孕んでいるように思えます。

高齢者、認知症、老人というような言葉には、かなりの抵抗感を覚えるのですが、社会現象の一つとして今回のグループホームの火災の大量焼死事件の発生を見ますと、その本質にあるものをしっかりと見つめて、少なくとも自分自身はそこに巻き込まれないための準備対応を実践行動してしなければと思わずにはいられません。幸いなことに、私にはくるま旅くらしという手立てがあり、これからも家内と一緒にその内容を膨らませて、単なる観光の旅ではなく、幾つかの視点からこの国を見て行こうという楽しみがありますので、とりあえずは大丈夫だと思っていますが、しかし、人生いつ何が起こるか分りませんので、油断は禁物です。最大の課題は医療機関のお世話になることの極小化を図った健康の保持にあると思っています。

最後に付加したいのは、この話は50代の方にも無縁ではないし、もしかしたら40代の方にも心の片隅に留め置いて頂いても良いのかとも思います。まだまだ若いと思っていても、間違いなく高齢者の人生に繋がっているのですから、人間一生を全うするに決して離れない(離さない)魅力的な目的や目標をものにしておくことは、早すぎることはないと思います。

コメント
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