※途中からお読みになられた方で、安達巌のことについて知りたい方は、2月27日の記事をお読み頂ければ幸甚に思います
第7日 <9月27日(水)>(最終日)
道の駅:富士吉田→(R138・R139・R20)→(都留・大月・八王子経由)→(R16から五日市街道へ)→TACOS→(五日市街道・青梅街道・保谷街道を経由して大泉から外環道へ)→(草加ICからR4へ)→(春日部にてR16へ)→(野田から県道にて守谷方面へ→自宅 <176km> 総走行距離:1,483km
一晩中降り続いた雨は、明け方になってようやく小降りになり、やがて止んだ。しかし、今日も天気はご機嫌がよろしくなさそうである。旅の最後の夜を過ごして、今日は家に帰るだけである。大月から甲州街道に入り、八王子でR16に入って、ついでだからSUN号の購買先であるTACOS社に立ち寄って挨拶して帰ろうと思う。8時過ぎ出発。
富士のお山は、全く見えない。大月に向う富士吉田の市街を走る道は、ず~っと下り坂だ。かなりの標高なのだろうか、三つ峠などの山なのか雲海の果てに顔を出している山が幾つか見えて、なかなか雄大な景色である。雨模様でなかったら、もっともっと素晴らしい眺望があるのであろう。今度は晴れた日を選んで、近々忍野の富士を見に来ようと思った。邦子どのも思いは同じようである。
比較的順調な流れで、TACOSの店に着いたのは、11時少し前だった。田代社長、浩子さんに挨拶し、少し歓談をした後、出発。途中国分寺市の郊外で珍しく外食をとったのだが、このときは再び雨が本降りとなっていた。東京の郊外から都心に入り、練馬の大泉ICから高速の外環道に入る。ところが、どこかで事故があったらしく、見当違いの大渋滞で、低速道となってしまった。草加ICから一般道に入り、守谷の自宅に着いたのは、15時30分だった。雨はすっかり上がって、青空が覗いていた。安達さんの魂にも、少しは自分たちの思いが届いたのかも知れない。青空を見ながらそう思った。
<旅から戻って>
一週間の旅だった。どうしても大阪に行き、安達さんの魂を慰めなければならないと思った。幽界にいる人を慰めるなんぞというのは、本当はおこがましい、この世に生きているものの身勝手な妄想なのかも知れない。つまりは自分自身のための鎮魂ということなのかも知れない。そのような反省をしながら、安達巌という、とてつもなく大きな生き様を残した人物の来し方を思った。
とてもその全てを知ることなど出来るものでもなく、その本当の心のありかを訪ねることなど出来るものではない。安達巌は、人間の限界を生き、人間の可能性を証明した人だ。いつの日か(といっても、自分に残されている時間はそれほど多くは無いということは承知している)安達巌のことを書きたいと思っている。そのタイトルはもう決まっている。「いのちの絵」がそれである。安達巌の絵は、自分のいのちを削って描かれたものだと思っている。彼の絵を見る度に、彼のいのちの脈動が伝わって来るのである。それは自分の中では、永遠に消えないものであろう。 (了)
お知らせ:
明日からしばらくの間掲載を休ませて頂きます。たくさんのアクセスを頂戴しておりますのに、誠に申し訳ありません。どうしても書けない事情があり、ご容赦頂きたいと思います。(馬骨拝)