goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

襟裳の春

2024年02月19日 | yyy94身体の存在論


さて昭和日本の最盛期、森進一が「襟裳の春は何もない春です」と歌う「襟裳岬」(一九七四年 岡本おさみ作詞 吉田拓郎作曲)。西行が愛でる日本の春を逆説として、当時の人々の心底を語る春の歌になっています。







拝読ブログ:

襟裳岬〜“何もない春です”と歌われた名曲にまつわる“色々 ...


拝読ブログ:

襟裳の春



コメント

夏目漱石「人生」

2024年02月18日 | yyy94身体の存在論


三陸のつなみ濃尾の地震之を称して天災といふ、天災とは人意のいかんともすべからざるもの、人間の行為は良心の制裁を受け、意思の主宰に従ふ、一挙一動皆責任あり、固り洪水飢饉と日を同じうして論ずべきにあらねど、良心は不断の主権者にあらず、四肢必ずしも吾意思の欲する所に従はず、一朝の変俄然として己霊の光輝を失して、奈落に陥落し、闇中に跳躍する事なきにあらず、このときにあたつて、わが身心には秩序なく、系統なく、思慮なく、分別なく、只一気の盲動するに任ずるのみ、若しつなみ地震を以て人意にあらずとせば、此盲動的動作亦必ず人意にあらじ、人を殺すものは死すとは天下の定法なり、されども自ら死を決して人を殺すものはすくなし、呼息せまり白刃閃く此刹那、既に身あるを知らず、いづくんぞ敵あるを知らんや、電光影裡に春風をきるものは、人意かはた天意か(一八九六年 夏目漱石「人生」)
ちなみに、句点なし読点のみの文。明治の文章家が苦心して試行錯誤したおかげで今日の日本語がある、と分かります。








拝読ブログ:

漱石の経歴と時代背景



拝読ブログ:

夏目漱石を苦しめた金銭問題、ロンドン留学の極貧生活と正岡子規からの問い



コメント

漱石三〇歳の文章

2024年02月17日 | yyy94身体の存在論


明治の文人は心身の実体を存在論的に洞察しています。明治二九年、第五高等学校教授夏目金之助、のちの漱石、三〇歳の文章。








拝読ブログ:

『坊っちゃん』どころじゃない、夏目漱石の生まれてからずっと損ばかりの人生



拝読ブログ:

硝子戸の中 (新潮文庫)



コメント

なかなか死なない

2024年02月16日 | yyy94身体の存在論


人間は、意外と、なかなか死なないのが困ったものだ。自分の身体がいつまでも生きているのが問題だ、と兼好は書いています。








拝読ブログ:

「早く死にたい」とつぶやく高齢者に検査を勧める…現役医師が目撃した「高齢者専門クリニック」の悲惨な現状



拝読ブログ:

どこ? 2024.02.12 20:14



コメント

命長ければ辱多し

2024年02月15日 | yyy94身体の存在論


つくづくと一年を暮すほどだにもこよなうのどけしや飽かず惜しと思はば千年を過すとも一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそめやすかるべけれ。(一三四九年頃 吉田兼好「徒然草」七段)








拝読ブログ:

今日も一人 明日も一人



拝読ブログ:

日本人の生活習慣は「世界最悪」である…職業、年齢、性別を越えて共通する「座りっぱなし」という悪習慣



コメント