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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

だれも聞いてくれない

2016年03月06日 | yyy50 スペシャリストの悲しみ


ここでは勝てたけれども、あそこでは勝てなかった。ここでは立派なスペシャリストだけれども、あそこではスペシャリストになれていない。ふつう、そういうことが当たり前です。それが悲しいといってもだれも聞いてくれません。







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なれるはずであった

2016年03月05日 | yyy50 スペシャリストの悲しみ


何者にもなれていないけれども何者にでもなれるかもしれなかった若いころは、どうだったのか?スペシャリストの内部に今もその若者がいるとすれば、何者にでもなれるはずであったことを何かを失ったかのように悲しく思い出すのかもしれません。







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自尊心も満足

2016年03月04日 | yyy50 スペシャリストの悲しみ


自尊心も満足される。それで努力する意欲がでてきます。社会において、たいていの場面では、そこで必要とされるスペシャリストであるほどうまくいく。スペシャリストとしての技術に努力研鑽するほどうまくいきます。それでその道の立派なスペシャリストになります。しかしそれはその道の立派なスペシャリストである、というだけでもある。別の世界ではスペシャリストになれていない、ということでもあります。







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居心地は良かった

2016年03月03日 | yyy50 スペシャリストの悲しみ


社会の中で生きるためにはスペシャリストになるしかなかった。それがいやではなかったどころか、居心地は良かったでしょう。社会を作る立派な集団に属してその中で必要とされるスペシャリストであれば、この世界での居場所ははっきりとある。








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名前は残る

2016年03月02日 | yyy50 スペシャリストの悲しみ


現代であれば名前くらいは残るかもしれない。新聞記事にもなるでしょう。テレビに映されればビデオをとっておける。うまくすれば何冊かの本に肖像写真が残るかもしれません。しかし、それが自分なのか?








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