物語の登場人物ばかりでなく、現実の人間も、動植物も、身の回りの物事も、素粒子や原子や太陽や宇宙も、記号や文字や概念や数学や音楽も、(拙稿の見解では)人間が感じ取れるすべての存在は、そのように私たちの身体がそれに反応することで存在する。またそのようにしか存在できません。
物事が現実に存在する、あるいは存在しない、という話をする場合、私たちの身体がその話の中の存在に対して一貫して反応し動き続けるという暗黙の前提がなければなりません。それが人間の言語の前提になっています。つまり(拙稿の見解では)私たちの身体が反応することが想定できないような場面の話をしようとしても、そこで語られる物事の存在は、はっきりとした現実としての意味を持つことができません。
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