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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

言語に神秘などない

2008年06月10日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Caravaggio_b1

生物学でも、脳神経科学でも、あるいは、人類学、心理学、言語学、哲学など、言語についてよく分かっていなくてはいけないはずの学問領域のどこにも、科学として明快な納得できる答えは出てきていません。

もしかしたら、これはあまりにも深遠な神秘であって、人間の知的能力では、到達できない問題なのかもしれない、と思いたくなります。

まあ、しかし、拙稿の見方では、これは生物現象に数ある未解明問題の一つに過ぎない。たとえば、有性生殖蛍の光鳥の渡りなども、まことに不思議な生物界の現象です。その中でも、言語の謎は、特に不思議に見える。言語は、私たち人間にとってあまりにも身近な問題であるために、この謎は巨大に見えてしまうのでしょう。いずれも手ごわい謎ではありますが、言語だけが特別にむずかしいと構える必要はないでしょう。

そこで、この世に神秘などない、という主張を好む拙稿としては、現代科学ではなかなか解明が進まないこの問題についても神秘を認めたくない。言語に神秘などない。いちおう、そう言い切ってしまいましょう。つまり、言語の問題に神秘など感じる必要はない。拙稿のアプローチを使えば、この謎も、だいたいのところは、意外と簡単に解いてしまえる、ということを示してみようかと思います。

拝読サイト:赤の女王仮説

拝読サイト:シャークウォーター 神秘なる海の世界

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言語遺伝子

2008年06月09日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

さて、言語は人類という動物だけに見られる種に特有な行動です。人間に一番近い動物とされるチンパンジーも言語のようなものは持たない。人類の言語は、キリンの長い首のように、動物の一種に限られ、近隣の動物種には見られない特有な遺伝形質です。進化によって作られたその種に特有のDNA配列(ゲノム)の作用によるものです。人類のDNA配列(ゲノム)には、脳の中に言語を発生する神経回路を作る機能がある。他の動物にそれはない。その遺伝子の全体構造は、まだ解明されていないが、いずれ近い将来、分子レベルの発生過程が脳神経科学の研究対象になるでしょう。その遺伝的仕組みは、人類の生活形態にうまく適応して生存繁殖に有利だったために、自然淘汰を経て生き残った(二〇〇三年 スティーブン・ピンカー認知的ニッチへの適応としての言語』)。

しかし、その進化の結果人類の脳に備わった、言語といわれている生物機構は、どんなものなのか? 科学的にはどういう現象なのか? 人体あるいは脳の物質現象としては何が起こっているのか? それにかかわる脳の神経回路はどういう構造になっていて、どのような作動過程でその現象が起こっているのか? それらが現在の科学では、実は、まったくというほど分かっていません。

拝読サイト:チンパンジーの子どもの記憶は人間のおとなよりも優れている

拝読サイト:キリンは宗教的に清浄な動物=ユダヤ教聖職者が食可能と宣言―イスラエル

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言語の起源

2008年06月08日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Caravaggio_amor

言語の起源に関する研究。これは、十九世紀フランスの言語学会がタブーとした研究テーマです。方法論が確立していないにもかかわらず素人受けがしすぎて言語学の信頼性が歪曲される危険がある、という理由からでした。さすがに最近はタブー視もなくなり、言語学、人類学、認知科学などから広く研究されています。また、境界領域として進化言語学など興味深い新分野が提唱されています。しかし、遠い過去の言語の実態を研究対象とする場合の困難がまず、ある。現物はまったくなく、さらに過去の人類の生活形態を推定できる物的データがほとんどない。また、画期的な実験観察の方法論も見つからないことから、仮説を排除する厳密な科学としては、依然として、取り組みやすいテーマではない。

そこで、哲学的論議の余地が多く残っている、ともいえる。哲学が活躍できそうな気がする。実際、多くの哲学者が言語の起源について言及しています。しかしながら、(拙稿の見解では)言語技術をもって言語の本質をえぐりだすことはむずかしい。言語技術に頼る哲学は、ここでもまた、大きな間違いに陥る恐れが大きい。当然、哲学に対して憎まれ口ばかり利いている拙稿としても、これから自説を展開するに当り、よほど気をつけなければ空しく落とし穴に落ち込むでしょう。それでも、ここまでえらそうに書いてしまったからには、進むしかない。ということで、そろそろと、始めます。

拝読サイト:地球シミュレーターと競馬の予想屋の違いって?

拝読サイト:ラネカー「模擬と主体化」

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私はなぜ言葉が分かるのか?

2008年06月07日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

(第四部 私と世界とのいかがわしい関係 begin)

(18 私はなぜ言葉が分かるのか? begin)

   第四部 私と世界とのいかがわしい関係

18 私はなぜ言葉が分かるのか?

 

 

世に哲学の難問、といわれている人生の謎の数々がある。しかし、それらはすべて、(拙稿の見解によれば)人間が自分で作った言葉のわなにはまって、動きが取れなくなることに過ぎない。拙稿は、哲学という学問が作り出す諸問題を、まず人類の脳に発生した言語システムという生物現象が引き起こす見かけの問題と捉えて、考えてきました。

人間という動物はなぜ、言葉を使ってむずかしい問題を考え出すのだろうか? 特に哲学に解明が期待されているといわれる難問を表わす言語表現の作られ方を、このアプローチで解きほぐしてみました(拙稿第一部および第二部)。

さて、本章では、この問題のさらに根底にある、人類の言語行動そのものを考えてみましょう。そもそも言語というものを、私たちは、科学としてどう考えればよいのか? 

拝読サイト:言語と意識(中島と永井の場合)

拝読サイト:母語と第二言語の根本的な違いをブローカ野が教えている 脳科学と言語過程 その2

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ゲーマー vs. ドリーマー

2008年06月06日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tiziano_sisyphus

人生の目的といい、幸福といい、もともと言葉で表されるものではない。私たちがばくぜんと抱く期待、明日への夢がその実体です。その夢は、言葉ではなく、無意識の感情に根ざしている。生存と繁殖に適応するように進化した感情機構は無意識のうちに身体を動かしていく(一九九一年 リチャード・ラザルス感情と適応』)。幸福は、それが言葉になる前に、身体がその意味を知っている。その動きを見て、私たちは、それが自分の目的だと思い、言葉にしてみる。逆にいえば、身体がそれに向かって動いているその夢が実現することを、幸福という。

私たちは実際、目的との距離を測りながら冷静な計算で動くゲーマーというよりも、どちらかといえば、明日にくる幸福をばくぜんと思い描き、夢を追って生きているドリーマーなのでしょう。

筆者の夢ですか? 

まあ、年もとったし、たいていの夢はかなってしまった。でも、今も、もちろん夢はある。

ハワイの海岸でビーチチェアを二つ借りて、妻と並んで青い波を眺めることです。そのとき通りかかった観光客(たぶん年配の日本人)にデジタルカメラを渡して写真を撮ってもらうでしょう。デジタルメモリに保存するだけではすぐ忘れてしまうでしょうから、「夢 X年X月X日」と文字入れしてプリントし、机の上の小さな写真立てに飾ろうと思っています。

(17 私はなぜ幸福になれるのか? end)

(第三部 私はなぜ死ぬのか?  end

(次回から 第四部 私と世界とのいかがわしい関係)

(次回から 18 私はなぜ言葉が分かるのか?) 

拝読サイト:ゲーマーとして

拝読サイト:100本の薔薇があります 紅と白、何本ずつある?

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