「どうもどうも」
「すみません。すみません」
「まあまあ、そういうことで」
「ウッソー? ほんと?」
「じゃあ、よろしく」
というようにわけの分からない言語表現を頻繁に使う民族が、世界一の経済社会を作っていたりするのです。
人間は、大いに錯覚を起こすことによって世界を滑らかに分かりやすくすばやく認知し、それに存在感を感じ、その錯覚による存在感を集団で共有することによって、お互いにうまく付き合っていけるようにできている。そういう便宜のために、人間の脳は錯覚による存在感をいつも簡単に作り出せるのです。
人間の脳は、壊れた陶器を補修する粘土状の充填剤のように、錯覚を作り出してギャップを埋め、断片を滑らかにつないで物事を分かりやすい形で存在させているのです。しかも陶器の正しい形など知ろうともせずに、どこかで見知った形、あるいは作りやすい形にさっさとつなぎ合わせて一丁あがり、として仕事を終えてしまうようです。
それで、人間どうしは、「ね、ぼくが言いたいこと分かるでしょう?」、「うん。分かる。分かる」という具合にうまく分かり合えるのです。つまり、「うん。分かる。分かる」とうなずくことが、分かるということなのです。