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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

日記を書かない動物たち

2007年08月23日 | x欲望はなぜあるのか

Almatademacourtship2 本人としては「私は食欲を感じたから、レストランに行って、カレーライスを食べるという行動を計画し、実行した」と思っているでしょう。しかし実際は、血糖値の低下などが、自動的に食べるという無意識の運動プログラムを潜在的に(仮想的に)引き起こしていて、それ(仮想運動)の運動神経信号が、レストランに行ってカレーライスを食べる、という習熟した行動を思い出させ、その行動を実行させた、というほうが正しいでしょう。レストランに行ってカレーライスを食べることを思い浮かべると、身体が動き出してレストランに行く準備を始めてしまうのです。口の中に唾液も出てくるでしょう。もうカレーのことばかりを考えてしまいます。家を出ると、足がレストランに向いてしまう。その結果、レストランに入ってカレーを注文してしまうのです。友達とレストランに行くときは「私は食欲を感じている」とか「私はカレーライスが食べたい」などと言いながら、行くわけです。ところが、一人だけでカレー専門店に行くときなど、「私は食欲を感じている」とか「私はカレーライスが食べたい」などと思わないうちに、実際カレーを食べている、という場合のほうが多いでしょう?

 つまり、欲望という言葉とか、「私は・・・したい」などという言葉は、人に自分の行動を説明したり、自分が記憶したり記録したり、日記を書いたりするためには便利ですが、人間行動の根源などではない。むしろ、自分の行動を説明せず、日記にも書かない動物たち、タコや魚、あるいはトカゲなどと共通の機械的な反射運動の連鎖が、人間の行動の原型を作っている。

拝読ブログ:カレー大好き

拝読ブログ:今日の出来事

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タコが怒っている

2007年08月22日 | x欲望はなぜあるのか

一方、子供のようにナイーブな人は、タコも昆虫も人と同じように欲望や感情を持って動いている、という見方をする。「タコが怒っている!」、 「虫がかわいそう!」とか言う。そういう見方で、世界を見ています。

タコの神経系を知っている科学者は、その動きを精巧な機械仕掛けとみる。しかし、その観察対象がタコではなくて人間の場合、冷静な科学者が研究として観察する場合でも、なかなか、その行動を機械的なものだとみなすのは難しいものです。

人がおいしそうに料理を食べるのを見ると、その人は食欲を持っている、と思うのがふつうですね。 

では、他人を観察する場合でなく、自分の行動の場合、人間はどう思うのでしょうか?

なぜ、自分には欲望がある、と思うのでしょうか?

 お腹が減った、と空腹を感じて、レストランに行く。この場合、食欲が先にあるように思えます。食欲を感じてからレストランに行こうと考える。しかし本当にそうでしょうか? 

食べるという運動をつくる運動形成神経回路と無関係に、食欲、という感覚を発生する神経回路が脳の中にあるのでしょうか? むしろ、食べるという運動を形成する要素的な運動プログラムが活動しはじめた場合に、それを事後的に、食欲、として記憶するような脳の仕組みがあるだけなのではないでしょうか。

「お腹減った」と思うとき、その前に食べる運動が仮想運動として頭の中で動いているから、そう思うのではないですか?

拝読ブログ:家族旅行~見つけた思い出

拝読ブログ:エネルギーを与える食事、奪う食事

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人間とエアコンは同じ?

2007年08月21日 | x欲望はなぜあるのか

Almatademacourtship 他人の動きを見るとき、その人が何かの目的を目指して動いているように思える場合が、たしかにある。

たとえば、誰かがガツガツと食べ物を食べているとき、その人は食欲が強いと思える。食欲を満たすと言う目的を持って、食べるという運動をしているように思うわけです。しかし、この見方は正しいのでしょうか? 

食欲、あるいは食べようとする欲望、などという概念を使わなくても、食べる、という運動の仕組みは説明できる。地球は自転する欲望を持っているから自転する、などと言う必要はない。人間がレストランで料理を食べる場合も、タコが海の底で餌を食べる場合も運動の仕組みは似たようなものです。延髄が血糖値の低下を検知した場合、目の前の良い匂いをする物質を口に入れて咀嚼する運動形成回路が連鎖的に運動信号を送出する。この仕組みを工学的に神経系のロボットシミュレータとして設計することも可能です。

こういう自動運動が展開することを、ロボット工学の技術用語として「食欲を感じた」ということにすれば、「このロボットは食欲を感じたから食べた」という言い方になるわけです。

私たち人間が、冷静に、タコや昆虫など動物の採餌行動を観察するときは、それをこういう機械的な現象と思って観察することができます。昆虫は細胞でできた機械のように動く。ロボットやコンピュータとあまり違わない。コンピュータが欲望を持って行動していますか? コンピュータはプログラムどおりにデータを計算したいという欲望をもって計算しているのだと言うと、どうもおかしな感じがしますね。それなら、地球は自転したいという欲望を持って自転しているのだし、エアコンは室温を一定に保ちたいという欲望をもってヒートポンプのモータをオンオフしているわけです。

私たち人間とエアコンとは、そんなに違わないのではないか?

いっそ、物質の世界には欲望などない、というほうが分かりやすい。

拝読ブログ:カモフラージュタコ? ≪動画≫

拝読ブログ:ヒートポンプを探せ!

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欲望はなぜあるのか?

2007年08月20日 | x欲望はなぜあるのか

(サブテーマ:欲望はなぜあるのか?  begin

10  欲望はなぜあるのか?

さて、すこし話題を変えて、そもそも私たち人間を動かしているといわれる、いわゆる欲望というものについて、考えてみます。

目の前の人が欲望を持っているかどうか、どんな欲望を持っているか、見て分かるでしょうか? 場合によっては、身体運動や表情を見れば、かなり分かりやすいかもしれません。場合によっては、まったく分からないでしょう。

目つきですぐ分かる。あるいは、顔色を見てもまったく分らない。ふつう、そんなものです。

私たち人間の行動を決定していると思われている欲望といわれるものは、ふつう観察しにくいものです。他人の欲望は目に見えない。カメラにも映らない。数値で表せない。デジタル測定装置もない。直接、五感の感覚器で感じられるものではない。動作や顔の表情や、目つきや言動から、推測するしかありません。

でも、そういう推測によって感知できるといわれる(他人の)欲望というものの存在は、もしかしたら観察する側の錯覚ではないでしょうか。欲望というものは、それがあるかないか、観察してはっきり分かるものなのでしょうか? もし分からないとしたら、そういうものは存在するといえますか。もしかしたら、それは存在しない錯覚なのではないでしょうか?

もし仮に、それがこの物質世界に存在しないものなのだ、としたら、なぜ私たち人間は、欲望というものが存在すると思い込んでいるのでしょうか?

拝読ブログ:欲望 - 激烈穴馬スナイパー

拝読ブログ:内容が無いようなブログ

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