人間は、仲間の視線が行く先をいつも知っていて、一緒にそれを見ようとする。それが目の前のものであろうと、語られたものであろうと、想像上のものであろうと、仲間が注目する物事をすぐに感知して動作を協調させることができる。私たちはそういう身体を持っています。
それは人類が、仲間と緊密な社会を作り、その中で仲間と協調し協力して、よりよく生き抜いていくために適応して進化させた身体機構なのでしょう。私たち人間は、仲間の目で見て世界はどう見えるか、仲間から自分がどう見えるか、客観的に自分は何をしているように見えるのか、常にそれを予測しその予測に対応して、無意識のうちに、すばやく全力を集中して行動を形成するような身体になっています。
その予測と結果との誤差を記憶して学習し予測機構(脳神経系の予測計算アルゴリズム)を修正する。私たちの身体のそのような働きが(拙稿の見解では)意識といわれるものを作っている、といえます(拙稿9章「意識はなぜあるのか?」)。この予測機構を使って、仲間の視線の中を、仲間とともに自分たちの身体がどう動いていくかをいつのまにか身体で感じとる。そのとき感じとった自分たちの動きを、私たちは物事の存在感として認知している。つまり私たちは(拙稿の見解では)、身体の動きに働きかけてくる物事の存在感を、自分たちの身体運動として内部表現している、といえます。こうして私たちの内部に身体運動を引き起こす外部因子としての物事の存在感を感じとることで、私たちはそれを客観的現実世界の存在だと思っています(拙稿21章「私はなぜ自分の気持ちが分かるのか?」)。
拝読ブログ:「無限」に関して<shapetype id="_x0000_t75" stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"></shapetype> <stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas></formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f><path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></path><lock aspectratio="t" v:ext="edit"></lock><shape id="図_x0020_7" alt="Comments" type="#_x0000_t75" o:spid="_x0000_i1025" style="WIDTH: 12pt; HEIGHT: 12pt; VISIBILITY: visible; mso-wrap-style: square"></shape><imagedata o:title="Comments" src="file:///C:UsersUSERAppDataLocalTempmsohtmlclip11clip_image001.gif"></imagedata>
拝読ブログ:最近の変な感覚について