哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

「ある」という言葉

2010年10月04日 | xx3人類最大の謎

Leighton_iphigenia_2 いずれにしろ、私たちは、世界が存在することと私が存在することとが同時に起こっても、ふつう矛盾を強くは感じません。そういう私たちの感性にもとづいて作られている人類の(自然)言語も、矛盾を感じないように作られています。

その結果、「存在する」、あるいは「ある」という言葉が作られ、「私」あるいは「私は思う」という言葉が作られている。すなおに言葉を使っている限り、世界がこのようにはっきりと存在していることはあたりまえであるし、またここに私がはっきりと存在していることもあたりまえである、と思えます。

拝読ブログ: 第一弾

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ものを存在させる仕組み

2010年10月03日 | xx3人類最大の謎

私たちは、世界が存在するからそこに私が存在してこの身体を持っている、と思っています。しかし実は(拙稿の見解によれば)逆であって、個々の身体が社会集団を形成することでうまく生存繁殖できるように人間の神経機構に世界を存在させる仕組みが進化した結果、私たちは世界がこのように存在すると感じるようになった。その後、社会集団の内部で個々の身体が自我意識を持って自律的に動くことで社会が活性化される仕組みが(拙稿の見解によれば)世界を存在させる神経機構とは別個に進化した別の神経機構によって実現された結果、人間の身体の中には私というものを存在させる仕組みができた、と推測できます。

もし私たちの内部がこういう仕組みになっているとするならば、世界を存在させる神経機構と私を存在させる神経機構とは別の機構であるので、同時に働くことはない。論理的には互いに矛盾するが、同時に働くことがないので、矛盾は不都合を起こさないでしょう。ネッカーキューブのように、二つの認知パターンが互いに競合し合って交互に意識に上ってくる、ということはあるのかもしれません。

拝読ブログ:書評 「The Rational Optimist

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人類の生存に必要であるから

2010年10月02日 | xx3人類最大の謎

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存在する者たちは、みな(拙稿の見解によれば)、そのような事情で人類の生活に必要であるから存在している。もちろん、私たちの直感ではそれらは当然のごとく厳然として客観的に存在している、としか思えません。しかしあるものが存在しているとき、それはそれが本当に存在している、と私たちだれもが思うから存在している。そして、そう思うような身体を私たちが持っているからそう思うのだと考えれば、それはそう思うことが人類の生存に必要であるから私たちがそう思うような身体を持っている、といえます。そうであれば、すべての存在する者たちは、そういう理由で存在することができるし、それだけの理由で存在することができる。

拝読ブログ:人類の生存競争にみる(笑)コミュニケーション能力のアップデートのススメー小川浩( @ogawakazuhiro

拝読ブログ:生命-進化

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世界の存在理由

2010年10月01日 | xx3人類最大の謎

私はなぜ今ここに生きているのだろうか、という疑問は、たしかに私たちの直感に訴える。まれにはその直感を過敏に受け取って、哲学的煩悶におちいる人もいるでしょう。しかし、その直感も、人類が環境に適応するように進化した結果、身に付けたものだといえる。私と世界が同時に存在する謎。その私、あるいは自意識、というものも、それが存在することが人間の社会をうまく形成するために必要だったから、人類の脳神経系がそれなりの機能に進化した結果、存在することになった、といえる。また客観的物質世界というものも、それが存在しないと私たちが協力して生活するために困るから、別の神経機能が進化した結果、存在している、といえる。

物質も世界も、それがはっきりと存在していると私たちが感じとるほうが人々が協力して自然環境の中での集団生活において物事を集団的にコントロールするために便利である、という事実がある。さらにまた、現実世界の理論的予測システムから発展した近代現代の科学も、それが存在するとだれもが思うことで、それを使って人々が世界観を共有できるということと実用の科学技術を生みだすということで、生活に大いに役立ち、たいへん便利なものになっている、といえる。

つまり私たちの心というものも、あるいは私という自我意識そのものも、また現実世界というものも、あるいは現実にともなう理論的予測システムである科学も、(拙稿の見解によれば)そのような便宜的な必要性によって存在している、と考えることができます。

拝読ブログ:篭を編む人々(歴史と人類学のはざ間で) その1

拝読ブログ:購入した書籍

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デカルト二元論の一元化

2010年09月30日 | xx3人類最大の謎

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客観的現実世界の存在感と、すべてを感じている自我の存在感と、互いの存在を認め合っている人間社会の存在感と、私たちが感じとるこれらの存在感はそれぞれが強烈に存在していながら互いに他の存在と矛盾するところがある。拙稿本章がテーマとするこの人類システムの瑕疵は、存在の謎を生み、強い自意識を生み、緻密な人類社会の成立に寄与し、さらに歴史的には宗教や哲学を生み、それが科学と経済の土台を作ってきました。

人間に哲学的な謎をかけ、形而上学を混乱させて悩ませる元凶という意味で、拙稿ではこの問題を人類最大の謎とよび、また人類進化の瑕疵であるとしましたが、実生活では、けっこう役にも立っているではありませんか? 私たちはこの瑕疵を忌み嫌ってその殲滅をめざすべきなのでしょうか? たとえばデカルト二元論の一元化を目指す哲学者のように、理性の名誉にかけて、人類最大のこの謎を解かなければいけないのでしょうか?

拝読ブログ:心・意識・知能の問題ふたたび

拝読ブログ:『方法序説』 デカルト (岩波文庫)

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