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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

注目、注意のニューロン

2008年07月22日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Caravaggio_st_francis

ちなみに、注目という動物の行動は、首と目玉を旋回してある視覚対象を視野の中央に持ってくる無意識の筋肉運動です。これは、視覚や聴覚その他の感覚の情報を処理して運動神経に指令を送る神経活動の仕組みで実行される。私たちが自分の身体の動きとしてこれを自覚するとき、注意という心的現象として感じる。

注意という心的現象については、現代心理学の初期から研究考察の対象になっている(一八九〇年 ウイリアム・ジェームス 心理学の原理)にもかかわらず、客観的な物質現象としてはなかなか捕捉できない。私たちが自分の行動を自覚するときには、明確に、自分が何に注意しているかが分るのに、脳神経系の働きとしてそれを客観的に記述できない。最近、脳科学的実験によって、ようやく大脳前頭葉前野皮質の脳細胞群がこの神経活動の中心になっているらしいことが見えてきた(二〇〇四年 レベーデフ、メッシンガー、クラリック、ワイス『前頭葉前野皮質における注意対記憶位置の表現』)。

これらの研究がさらに進んで、拙稿の提唱している擬人化がどういう脳神経現象なのか、科学的に解明されることを期待したいが、残念ながら現代の実験計測技術では、無理でしょう。脳計測の技術は急速に進歩しているとはいえ、感覚情報の複雑な処理を神経細胞間の連携活動として捉えるにはまだまだ精度が足りない。

拝読サイト:ルールのアップデートに特異的な神経活動

拝読サイト:言語学と脳科学

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擬人化⇔注目

2008年07月21日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

私たちは、脳のこの仕組みを使って物事に注目する。つまり(拙稿の見解では)人間が物事に注目するときは、仲間の動きを見つめるときに使う神経回路を使って認知している。仲間を見ている人間は、仲間の身体の動きが自分の身体に乗り移って、自動的に動いてしまう。身体は実際に動かなくても、(拙稿の見解では)脳内では運動形成神経回路が働いて仮想運動が起こっている。そのとき、私たちは、仲間の人間の動きを自分の身体の動きとして感じる。

それと同じ仕組みで(拙稿の見解では)、私たちは、注目している物事が自分の身体に乗り移ってくることで、その物事の動きが自分の身体で分る。そうであるとすれば、私たち人間の感性にとって、物事の動きというものは、仲間の身体の動きと同じように捉えられるものであり、それは同時にそれにつられて動く自分の身体の動きとして捉えられる。つまり物事は、擬人化されることで注目される。

拝読サイト:大人になりたくない

拝読サイト:現実に圧倒されるのが嫌いです。

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無意識の擬人化

2008年07月20日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Caravaggio_martha

私たちは、目の前の物体が、外力が働いていないのにひとりでに動き出すのを見ると、視線がそれに引きつけられる。動き出す物体の変化に、無意識のうちに注目する。注目すると、それが(人体、動物、無生物の)どの領域の物体であっても、(拙稿の見解では)無意識のうちに、まずは擬人化する。逆に言えば、そのものの動きに注目する、注意を向ける、ということは、(拙稿の見解では)無意識に擬人化するということです。それが人間であろうと動物であろうと無生物であろうと、擬人化される場合は、人間のように感情を伴って運動するとみなす。

なぜ、私たちの脳では、この、無意識の擬人化が起こるのか? 脳のこの仕組みは、(拙稿の見解では)たぶん、群棲霊長類の集団共鳴運動から進化したものでしょう。物事に対応して仲間が動き出すと、それにつられて無意識のうちに自分の身体が追従してしまう。そういう仕組みです。

拝読サイト:宇宙論の現在

拝読サイト:シナプスの数だけ赦してねっ。 夏来るな

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物事を予測する仕組み

2008年07月19日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

ニュートン以来の科学の目覚しい発展を見て、私たち現代人は、人体も脳も神経細胞も、ふつうの物質と同じように科学が明らかにした物質の法則だけにしたがって変化していくことを、よく知っています。現代生物学はこれを徹底している。人間の心の動きを作り出す脳の働きの解明が、現在、科学の最後の領域と言われていますが、ここでも最近の進展はめざましい。私たちが精神的なものと思っている人間の行動が、次々に、物質現象として説明されていく。

しかし、おもしろいことに、科学の知識があってもなくても、私たちの行動は変わらない。日常の生活では、先にあげた幼稚園児が身体で感じるレベルの、直感的な物事の法則を使って、私たちは行動している。科学の方程式を計算して、物事を予測したり、自分の動きを決めたりしている人はあまりいません。これは、なぜでしょうか? この問題を考えるには、私たちの直感が物事の変化をどう予測しているか、その仕組みをよく調べる必要がありそうです。

拝読サイト:ジャック・モノー『偶然と必然』

拝読サイト:ポスターセッションとワイン&チーズパーティー

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物質が内部に持つ感情

2008年07月18日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Michelangelo_caravaggio_death_virgi

幼稚園児より小さい幼児の場合、ボールがうまく投げられないと、ボールに怒ったりする。赤ちゃんは、おもちゃなど無生物にも人間にも、同じように行動するところがある。無生物も、人間と同じように、感情や意志のようなもので動くと思っているかのようです。赤ちゃんがそういう気持ちを持っているらしい、ということは、私たち大人も分かるような気がする。つまり私たちも物事をそう感じる感覚がある、ということでしょう。注目する対象が人間でない無生物の物質であっても、物質が変化する原因をその物質が内部に持つ感情のようなものとみなして感じ取る感覚が、私たち人間の脳には、もともとあるようです。たとえば私たちは、空をにらんで「雨がやんでくれない」などと言いますね。

拝読サイト:どうなるのこれから

拝読サイト:あー…-空の欠片

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