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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

苦痛は言語活動と同じ

2007年09月16日 | x1苦痛はなぜあるのか

Bouguereau_flora_and_zephyr_1 筆者が赤ちゃんのころ、痛いときは「ウエーン」と泣いていたはずですが覚えていません。そのころは言葉も知らなかったけれども痛いときは泣くべきだ、ということは(覚えていないけれど)知っていたでしょう。痛みは言葉以前の感覚のようです。それでも赤ちゃんのころでも、「ウエーン」と泣いて周りの人の共感を誘っていたわけですから、言語の代わりのものとして使用していた、といえる。言語活動の下敷きになっている集団行動としての神経回路を、実用的に使っていたわけです。隣の赤ちゃんが泣くのを聞くと、もっと声を張り上げて泣いたりするわけですから、赤ちゃんたちも、ちゃんと集団生活をしている、と言えますね。こういう観察から考えると(拙稿の見解では)人間が言うところの苦痛は、他の言葉のもとになる神経活動と同じように、群集団共鳴運動として脳内で発生し、それから言語に表わされるようになった現象だと思えます。

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苦痛は脳内状態か?

2007年09月15日 | x1苦痛はなぜあるのか

しかし痛いときは痛い。嫌なものです。自分の体内で起きる一種の物質現象が、苦しかったり嫌だったりする感覚に対応している。他人が同じ状態のとき、いくら詳しく観察しても、どれほど痛いのかは、よく分からない。想像や類推はできますが、直接、感じることはできない。それなのに、自分のときは嫌になるほど感じる。つくづく、人間が分かることは自分の肉体の感覚だけだ、と思い知ることができます。

 筆者は、たまたま歯が痛いときに、「苦痛は脳内状態か?」について論じている分析哲学の論文(一九八八年 ヒラリー・パトナム 『表現と現実』)を読んでいたのですが、英文をずっと読んでいくほど歯痛はひどくなっていくばかりで、とうとう歯医者に行きました。その論文では、「脳のことなど何も知らないときでも歯は痛いから、苦痛は脳内状態とは一致しない」などと書いてありました(こういう議論を心理ー物理同一性問題などという)。そこは「なるほど、そうですね」と納得しましたが、痛みは全然和らぎませんでした。

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苦痛はなぜあるのか

2007年09月14日 | x1苦痛はなぜあるのか

11  苦痛はなぜあるのか?

 Bouguereau_elegy_1

  他人の痛みが分かるようになれ、と学校の先生は教えます。つまり、ふつう他人の痛みは分からない。なぜ分からないのか?

 人間は、つねると痛みが分かるとき、つねったところを自分の身体だと思う。痛みが分からない身体を他人だと思っている。だから他人の痛みが分からないのはあたりまえ、ともいえます。

 そうは言っても、実際、自分の身体を確かめるために、いちいち他人の身体をつねって「あ、これは私じゃなかった。ごめん」などと言って確かめるやりかたをしていると、みんなに殴られてしまうでしょうね。そんなことをしなくても、この世界のどの部分をつねると痛いか、つまりどれが自分の身体を構成する物質なのか、、ヨチヨチ歩きする赤ちゃんでも知っている。

 赤ちゃんは、つねったときの痛みというよりも、それ以前に、皮膚の触感と筋肉、関節の緊張感覚など体性感覚を感じて、それを目で見える自分の身体の各部に投射することを学習する。それで脳内に自分の身体の模型を作っている。そうして、痛みをその脳内の身体模型に投射して、痛い場所を感じられるようになります。

 ところで、痛みは物質現象でしょうか? 痛いとき身体がどういう変化を起こしているか、その科学は最近かなり分かってきました。痛みの信号の伝達経路、苦痛に対応する神経伝達物質、その受容体、神経細胞膜の構造変化などが解明されてきています(二〇〇五年 ユンハイ・キウ他『ヒト非ミエリンCファイバー上昇信号の脳内処理』など)。そのおかげで麻薬より良く効く鎮痛剤も開発されてきました。さらに近い将来、苦痛や快楽に対応する脳内の信号伝達もまた、DNA,RNA、たんぱく質の分子レベルから進化を遡ることで解明できるでしょう。

 両生類や爬虫類の脳は、生まれつきの反射を繰り返すだけで、学習も記憶も、それほどしません。鳥類や哺乳類になると、運動と感覚の記憶について苦痛や快楽などでマークをつけて行動を記憶し、学習するようになる。苦痛や快楽の感覚は、哺乳類において特に発達した感情機構が発生する恐怖感、幸福感などと連結して、行動の学習に役立ったから、進化したのでしょう。

また苦痛は、人間の場合、自分の肉体の存在感とも深い関係がある。苦痛を感じるたびに、生々しい血の流れる自分の肉体、というイメージが脳の中に再構成されるわけです。それを発展させて、世界の中での自分の行動を記憶し計画する脳の機構を作るためにも、苦痛は役に立っています。

近い将来、痛みや快楽に対応する脳内の物質現象は、科学として、すっかり解明されるでしょう。

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