11 苦痛はなぜあるのか?
他人の痛みが分かるようになれ、と学校の先生は教えます。つまり、ふつう他人の痛みは分からない。なぜ分からないのか?
人間は、つねると痛みが分かるとき、つねったところを自分の身体だと思う。痛みが分からない身体を他人だと思っている。だから他人の痛みが分からないのはあたりまえ、ともいえます。
そうは言っても、実際、自分の身体を確かめるために、いちいち他人の身体をつねって「あ、これは私じゃなかった。ごめん」などと言って確かめるやりかたをしていると、みんなに殴られてしまうでしょうね。そんなことをしなくても、この世界のどの部分をつねると痛いか、つまりどれが自分の身体を構成する物質なのか、、ヨチヨチ歩きする赤ちゃんでも知っている。
赤ちゃんは、つねったときの痛みというよりも、それ以前に、皮膚の触感と筋肉、関節の緊張感覚など体性感覚を感じて、それを目で見える自分の身体の各部に投射することを学習する。それで脳内に自分の身体の模型を作っている。そうして、痛みをその脳内の身体模型に投射して、痛い場所を感じられるようになります。
ところで、痛みは物質現象でしょうか? 痛いとき身体がどういう変化を起こしているか、その科学は最近かなり分かってきました。痛みの信号の伝達経路、苦痛に対応する神経伝達物質、その受容体、神経細胞膜の構造変化などが解明されてきています(二〇〇五年 ユンハイ・キウ他『ヒト非ミエリンCファイバー上昇信号の脳内処理』など)。そのおかげで麻薬より良く効く鎮痛剤も開発されてきました。さらに近い将来、苦痛や快楽に対応する脳内の信号伝達もまた、DNA,RNA、たんぱく質の分子レベルから進化を遡ることで解明できるでしょう。
両生類や爬虫類の脳は、生まれつきの反射を繰り返すだけで、学習も記憶も、それほどしません。鳥類や哺乳類になると、運動と感覚の記憶について苦痛や快楽などでマークをつけて行動を記憶し、学習するようになる。苦痛や快楽の感覚は、哺乳類において特に発達した感情機構が発生する恐怖感、幸福感などと連結して、行動の学習に役立ったから、進化したのでしょう。
また苦痛は、人間の場合、自分の肉体の存在感とも深い関係がある。苦痛を感じるたびに、生々しい血の流れる自分の肉体、というイメージが脳の中に再構成されるわけです。それを発展させて、世界の中での自分の行動を記憶し計画する脳の機構を作るためにも、苦痛は役に立っています。
近い将来、痛みや快楽に対応する脳内の物質現象は、科学として、すっかり解明されるでしょう。
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