契約書、法律書、文学書(あるいは現代における書籍、新聞)などに神あるいは王など全知全能の権威者(現代のマスコミ)が発する言葉が文字化されて記述され社会的に機能するようになる。全知全能の権威者の視座から見た自己中心的感覚の記述が日常的に機能するようになる。その結果、権威者の語る言語によるこれら表現(第一の自我)の後ろにある、全能の主体、つまり幼児的自己中心自我(第二の自我、言葉では言い表せない本当の私)の存在感を呼び起こすようになった、と(拙稿の見解では)推測できます。 逆説的ですが、この言語表現の限界を超えるような現代的な自己中心的(第二の)自我は(拙稿の見解では)、文字による言語表現の出現によって顕在化したのではないか、とみることができます。文字が発明されて、聖書経典、宣誓書、通達書、
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