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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

哲学という手品

2007年03月02日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

天才的な哲学者が現れたとしても、その才能は古い錯覚を批判し,新しい錯覚を発明して、それで人々を説得すること、つまり古い曖昧な言葉を言い換えて、新しい曖昧な言葉で世界を語りなおすことに使われるしかないでしょう。

それはそれで、時代に合わせて社会を運営するためには大事な才能です。人々が、周囲の仲間との毎日の会話を通して自分が日々なすべき仕事をはっきりと理解し、それぞれの持ち場を懸命に守っていくようにしむけなければなりません(また、そうなることが、支配体制にとってはぜひ必要なことです)。都合のよいことに、人間の脳神経系は、なにか大きな神秘的で尊厳のありそうなものにひれ伏し、つき従おうとする傾向があります。この傾向を利用すれば、偶然見つけた神秘的な現象をうまく組み立てて、神聖な物語に作り上げ、人々に受け入れさせることができます。

極端に言えば、手品でもいい。日食のときに、深刻そうな顔をして、わけの分からない呪文を唱えれば、太陽はこの世に戻ってきます。その手品を、手品師自身が心から不思議だと思ってしまうと、哲学になります。ふつう、この手品には日食のような自然現象ではなくて、言葉が使われます。言語技術による手品ですね。「死とは何か?」、「人生の目的は何か?」などと叫んでみる。そのときに、手品師自身が自分の作った手品の不思議さに魅入られてしまうと、本物の哲学が始まるわけです。その場合、その不思議さが人々を神秘感に誘い込んでしまうと、社会の役に立つことになります。つまり、言語技術の手品師は職業としてなりたつ。少なくとも、支配体制から給料をもらえます。

そういう社会現象として、優秀な言語技術者たちは、あるときは神官、あるときは官僚、あるときは学者、教育者、マスコミに姿を変えて、この世の神聖な、尊厳のある、権威ある仕掛けを再生産していきます。これらの優秀な人々の努力によって、時代にあわせて哲学は改訂され、新しい哲学によって改めて明瞭になった言葉を使いこなして、新しい宗教、新しい神話、新しい道徳、新しい法律が作られてきたのです。

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言葉は真理を語れない

2007年03月01日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

なぜかというと、人間の言葉というものは、目に見えないものを語るという仕事に適していないからです。言葉はもともと意味のない音の羅列です。人間は、仲間どうしでの言葉が繰り返し使われる場面の経験を積み重ねることから、感情を共感し、運動を共鳴することによって、意味を学習するのです。話し手の表情、声色、前後の状況、仲間の聞き手の反応などを繰り返して感じ、自分でも真似ることで感情を共感し、少しずつ意味がおぼろげに分かってくるものです。

話し手と聞き手が、目の前の物質を見ながら、触りながら、それについて話すときに限って、言葉の意味は明確になれるのです。つまり言葉は、複数の人間が同時に目で見えて手で触れる物質世界のことしか、正確には語れないものなのです。自分の内部でしか感じられない、他人の目には見えない、錯覚の存在について正確に語ろうとすればするほど、おかしくなっていくしかないのです。

人間が仲間どうし協力して、世界の法則を利用して、生存繁殖するのに役立つ仕組みだったから、言語は発達したのです。生存繁殖以外の目的に役立つような機能は、むしろ、言語が生まれる瞬間から切り捨てられていったでしょう。余計な機能を持たず、生存繁殖することだけに役立つ実用的な言語操作機構を持った人類だけが生き残って、世界中に伝えたものが、現在私たちが使っている言語なのですから。そうして使われて伝えられてきた言語が、哲学とか、この世の深遠な真理などを解明する機能を持っているはずがありません。こういう仕組みで造られた人間の言語を使う以上、誰が語っても、目の前の物質世界と関係がない、実用の役に立たない深遠な哲学的真理などを正確に語ることはできないのです。

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科学の成功を羨む哲学

2007年02月28日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

そのあたりが西洋哲学の始まりです。宗教を普及し人民を統治するために、言語技術者たちは哲学によって教育され、聖職者になり、役人になり、学者になり、教育者になり、社会の指導階級になって法律や制度を作っていきました。その人たちは「命」、「心」、「自分」、「利害得失」というようなものの存在感をしっかり感じることができました。自分の意思、自分の人生、というものをしっかりと見据えてそれらを間違いない論理で組み上げ、自分の社会的役割を意識し、ステータスを意識し、冷静に利害得失を計算し、自信をもって着々と仕事をこなす模範的な人々だったのです。

そういう人たちの仕事の一つとして科学が立ち上がり、目に見えて手で触れる物質についての理論体系を作ることに成功しました。これは大成功でした。西洋人たちは科学を応用して、極度にエネルギー効率がよい、大きくて複雑で、あるいは極度に精密な、各種の機械装置を作り、地球を周回し、世界中にキリスト教やスペイン語や英語や銃火器伝染病を広めました。

哲学者たちは、科学の大成功を羨みました。ところが哲学は、科学のように、明らかなところだけを語ってすますわけにはいきません。人々は哲学に、人間の経験する深遠な神秘を説明する理論を期待しているのです。その期待に応えてこそ、哲学はもっとも高尚な学問としての地位を確保できるわけです。最高の言語技術者である哲学者たちに、それが期待されるのです。人々は天才的な頭脳を持った哲学者が現れて、この世の深遠な真理を解明してくれることを期待するのです。 

しかしそれは結局、無理なことを期待しているわけです。人間が自分の感じるものの全体を理解するための理論を言葉で語ろうとすると、天才であろうとなかろうと、結局は間違いを語るしかなくなるのです。

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言語技術者たち

2007年02月27日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

言葉を使って世界を説明する専門家が現れ、支配階級に認められて特権的な職業集団を作るようになります。そういう言語技術のプロ(拙稿では言語技術者という)たちは、次々と精緻な理論を組み上げて、権威を持って神を語り、人間のあり方を語り、心の理を語り、倫理を作り、法律を作り、科学を作り、哲学を書くようになったのでしょう。

特に西洋文明の中に現れた言語技術者たちは論理をつめ修辞法を洗練させ、驚くべき明解さをもって世界を語りました。ヨーロッパの多様な民族を相手にギリシア・ローマ文明とキリスト教を浸透させるために、相当優秀な言語技術者が抜擢されたのでしょう。ローマ国境周辺の蛮族たちは、文明が語る理論(法律、教義、農工技術)の緻密さに驚き恐れて、戦わずして隷従していったのです。

優れた言語技術者の集団は、人間関係と人間の感情を言葉で明瞭に表し、社会的な関係を言葉ではっきり言い分けていきます。彼らは社会の指導者階級となり、学校を作り、教育制度を作り、啓蒙を行い、言葉の意味がはっきり誰にでも伝わっていくような社会を作っていったのです。言語技術者の子供たちは、学校で毎日言葉の使い方を習います。同時に世界の秩序を学んでいく。先生は偉い。教科書に書かれている言葉を作った学者は、もっと偉い。そういう権威のある立派な言葉を学習します。

アニミズムから発した感情であろうと、起源が明らかでない伝承からの抽象的な観念であろうと、明快な言葉を使って網の目のように論理の体系を張り巡らし、権威を持って若い頭脳に学習させていけばバーチャルな意味のネットワーク、つまり錯覚の使い方と文脈の語り方の体系が立派にできあがっていきます。それは論理的であり、権威があり、信頼すべきものです。その中心に哲学があり、学者はそれを尊敬し、人々は学者を尊敬しました。

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無理やりに理論(素朴心理学、素朴運命学etc.)

2007年02月26日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

Hatena29 原始時代、狩猟採集の時代は単純で良かったに違いありません。地球は平らで、毎朝、太陽が東の果ての地下から昇ってくるという哲学を信じていれば、十分実用的だったでしょう。太陽の影を測って、時計も暦もきちんと作ることができたのです。

しかし、それでは人工衛星は飛ばせません。

言語が発達し、農業が完成し、文明社会が発展すると、見通さなければならない世界が大きく複雑になってきます。知識、経験が追いつかなくなります。複雑な人間関係や環境変化の法則が掴みにくい状況になります。

それでも分らないなりに、人間は、仲間どうしで共感できるいろいろな錯覚を見つけ出し、それらを組み合わせて物語を作り、世界を理解し、自分たちの人生を運転していきました。そのために人間は世界全体、自分自身、命、心、魂、死、幸福、運命というような不思議な存在、そしてそれらの変化を支配しているかのように思える大きな神秘的存在などについて、実は何も分からないにもかかわらず、無理やりいろいろな理論素朴心理学、素朴運命学、素朴医学、哲学など)を作り上げ、それを集団知識として共有するようになったのです。

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