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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

次の運動を計画する人間

2007年06月25日 | 6この世はなぜあるのか

脳のこの機構に障害が起こると、現実と妄想を混同する意識障害(アルツハイマー病などの症状)に落ちいります。芥川龍之介の小説「杜子春」などのように夢の中で実人生のように生きるという幻想フィクションは楽しいですが、正常な人間の脳ではそれは不可能です。断片的な夢や幻覚や病的妄想のほかには、人間は現実感を、覚醒時の目の前の物事の存在感にしか感じられません。

その現実感、つまり目の前の世界の存在感の知覚を基盤として、人類は精緻な「現実世界」を把握する神経機構を発展させました。自分の運動とそれに対応して変化する五感からの知覚入力情報を総合して過去の経験記憶と照合し、次の瞬間の自分の運動が世界の変化によってどのように干渉されるかを予測計算します。予測可能な知覚信号のその規則性を、現実世界として目の前に存在感をともなって感じるような脳になったわけです。その感知した現実世界の変化を、時間推移をともなった経験と感じて記憶していく。その記憶を常に予測に使い、過去から現在への世界の時間推移を感じることができます。その経験記憶と現在の受信感覚信号の全体と未来の予測が、時間空間の広がりを持った世界の一体的な存在感を作っています。覚醒時の人間は、いつも、自分を中心として広がるように感じられるこの時間空間の感覚を持っていて、その中で自分の身体を動かす次の運動を(おおかた無意識に)計画していくのです。

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哺乳類の感情回路

2007年06月24日 | 6この世はなぜあるのか

哺乳類は身の回り、特に目の前の物質の動きに敏感です。目の前のものに注目し、匂いをかぎ、耳を立ててかすかな音も聞き取ります。目の前の現実に強い存在感を感じているかのごとく運動します。便宜上、擬人的な言い方を使うことにすれば、哺乳類は、目の前の現実に存在感を感じる、といえるでしょう。哺乳類の脳が目の前に見える物質に、現実感、存在感、を感じるように進化した理由は(拙稿の推測では)、たぶん、この動物類が鮮明な記憶再生能力を持つようになったからでしょう。

脳内で記憶から再生されるシミュレーション(過去の記憶、願望、不安、未来の予測、白昼夢など)のバーチャルな虚像と目の前の実像とを区別するためには、存在感が役に立ちます。目の前の捕食者あるいは獲物の出現に応じて、瞬時に感情回路を発動させアドレナリンなどを分泌することで高効率のエネルギー代謝を回転させて身体の運動系を急加速できる生理機能が、哺乳類の繁栄を実現しました。覚醒時にいつも身の回りを監視し、危険や利害のある信号に敏感に注意を集中して注目し、必要な運動を発動し、同時に現象の特徴を記憶していく。このように注目すべき現実世界に、機敏に反射的に対応する運動形成神経活動を最優先で加速し、その記憶を確定する、哺乳類共通のこの神経回路、つまり感情回路、の働きが、拙稿のいう「存在感」に対応しています。

存在感を生成するこの感情回路の機構は、現代科学では、まだまだ完全に解明されてはいませんが、大脳の奥にある扁桃体視床のあたりにあって、五感と自分の運動との関係で知覚できる身の回りの物事の変化を総合して現実らしさを判定しているようです。特に、動眼神経の反射による視線の振り向けによって、その対象が視野の中央に来ること、輪郭がはっきりしていること、顔を動かして距離感と立体感を感じられること、過去の経験と矛盾しないこと、過去にそのものと対面した時の過去の感情が想起されること、などを感じると、その対象物の存在感が強められます。つまり、物質を対象とする運動とそれの結果による感覚信号の変化が、過去の記憶、習熟した経験の記憶とうまくつながることで、物質の存在感、現実感が発生するのです。

拝読ブログ:哺乳類3

拝読ブログ:Pull test(どうやって姿勢反射障害を見ればよいのか?)

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バーチャルな科学的実在

2007年06月23日 | 6この世はなぜあるのか

リンゴを構成している原子、電子、そして素粒子は、どのように存在しているのか? 精密に言えば言うほど、物理的な存在は、不確定原理によって不確定になってしまいます。それら粒子の働きによってリンゴから反射されてくる光を網膜で受けている人間は、視覚神経を伝わってくるその感覚データがどういう条件を満たすときに、それがリンゴであると、判断できるのか? こういうことを正確に言おうとすればするほど、哲学としてはいい加減なものになってしまうしかありません(二〇〇五年 クロフォード・エルダー本当の自然とよくある物体たち』)。

そういう存在(原子、電子、そして素粒子など)は、人類の脳がバーチャルに、科学的実在と感じているだけなのかもしれない。いや、正確にはそうとしか言えないでしょう。バーチャルなのに完璧にもっともらしいものと実物とを見分けることはできません。それは区別できません。脳の扁桃体が同じ反応をすれば、私たちは、まったく同じ存在感を感じます。完璧な存在感を与えるバーチャルリアリティがもし作られたとすれば、それはどんな観察をしてもどんな実験をしても見破れません。それはつまり、現実でしかないのです。

バーチャルリアリティの語源的な意味は「実質的に現実であること」です。われわれが感じて現実の存在としか感じられないもの、完全な存在感を与えるもの、もしそういうバーチャルリアリティがあれば、それは現実の存在というしかないでしょう。もっと割り切って言えば、われわれが感じているものはすべて、この目の前の物質世界も含めて、すべてはそう感じるだけだといえます。

リアルかどうか、という問いは意味がない。すべてはバーチャルリアリティ、つまり実質的にリアルと思えるからリアルということなのだ、ということもできるわけです。

まったく完璧に現実らしく見えるもの(偽現実ともいう)を現実と言わなければ、現実というものはないことになってしまいます。拙稿では、だから、そういうものを現実と言うことにしましょう。逆に言えば、現実とは最も完璧な偽現実のことだ、とするわけです。

拝読ブログ:実験発表

拝読ブログ:バーチャルタウン・TANTANTOWN

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人間に便利なように世界はある

2007年06月22日 | 6この世はなぜあるのか

Waterhouse4pandora 人間が(仲間と共感して)感じ、共鳴して身体を動かし、そして記憶し、そして共感して語り合うから、この世界はこういうふうに存在するのであって、人間が感じない、あるいは感じても記憶しない、あるいは記憶しても他人と共感しない、他人と共鳴して神経系が連動しない、というならば、世界が存在するといっても意味がありません。

そして、目の前に世界がこういうふうに存在しているように見えるから、この世界でいろいろ実験、観察を重ねると科学という模型のとおり再現できるらしい、と思えるのです。それはあまりにも尤もらしく見えるので、科学という模型は本当に存在しているかのように見えます。科学の法則は人類の脳と関係なく存在するように思えます。だがこれも正しくは、人類の脳がそれをそう感じるからだ、ということでしょう。

私たち人間が、客観的な世界だと思って目の前に見て手で触っているこの世界は、たしかに人間であれば、だれでも同じように感じる世界ですが、人間という生物の感じ方だけで作られている。人間が生活するのに便利なように、そのために作られた世界だけが存在している、ということができます。この点を強調して構成主義と名乗る現代哲学があります(一九八一年 エルンスト・フォン・グレーザーズフェルド根本構成主義入門』)。

拝読ブログ:[ゲーム]

拝読ブログ:一人じゃない!??

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なぜ、雪は冷たいのか?

2007年06月21日 | 6この世はなぜあるのか

Waterhouse3siren だから、世界はこういうふうに見え、こういうふうに存在しているのです。逆に言えば、こういうふうに存在しているものを、私たちは、世界だと思っているのです。人間の脳が身の回りの物質の変化に対応して、どういう運動を形成する機構になっているか。脳のその機構がこの世界を作っています。それも個々の人間ではなく、群れとしての人間集団(仲間)の運動形成の共鳴がこの世界を作っている、ということでしょう。この世界を作っているのはそのように働く人類集団の脳であり、それを作る人類のDNA配列(ゲノム)なのです。

たとえば、物の色は三原色からできている、といいます。それは人間の網膜の光感受細胞が三種類あるからです。しかし、ある種の猿はそれが二種類しかない。また、それが四種類の猿もいます。彼らにとって色の付いた世界は、二原色とか四原色の世界なのです(二〇〇四年 リチャード・ドーキンス 『先祖の物語』)。

世界は、生物の感覚器官と運動器官の構造により、また神経情報処理システムの構造により、また、それがどういう生存環境の中で進化したかの原因により、違ったものになって存在するのです。つまり、人間が感じるこの世界は、人間がそれをこう感じると生存に便利なように、そのようにできている。

クイズ:なぜ、リンゴは赤いのでしょうか? なぜ、雪は冷たいのでしょうか?

答え:リンゴは赤いと便利だからです。それを見つけて食べやすいから。

雪は冷たいと便利です。手が凍傷にかかるまえに引っ込めて暖めるから指を失わずにすみます。

それで、リンゴはこんなに赤いし、雪はこんなに冷たいのです。

拝読ブログ:ここは誰?私はどこまで?

拝読ブログ:四原色の世界に思いをはせる - 「眼が語る生物の進化」

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