プロセスが進む順番が重要です。拙稿が強調したいことは、最初から身体が無意識のうちに、そこにある何かを手に取りたくなるという感覚を感じ取ることでリンゴの存在感を取り入れてしまっている、ということです。その後、いろいろなプロセスが働いた結果、(最後のほうでようやく自分というものが登場して)私たちは自分がリンゴの存在というものを認知している、と分かる。そこでようやくそのリンゴの存在が完成する。
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拝読ブログ:自分というものが本来あるのではなく
プロセスが進む順番が重要です。拙稿が強調したいことは、最初から身体が無意識のうちに、そこにある何かを手に取りたくなるという感覚を感じ取ることでリンゴの存在感を取り入れてしまっている、ということです。その後、いろいろなプロセスが働いた結果、(最後のほうでようやく自分というものが登場して)私たちは自分がリンゴの存在というものを認知している、と分かる。そこでようやくそのリンゴの存在が完成する。
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これを時系列的にいえば、私たちは、次のようなプロセスを順番に経ることによって、そのリンゴが現実に存在していることが分かる。反応時間は、最後までで十分の一秒くらいでしょう。
0.何か身体の動きに影響する変化があるらしいと感じる。
1.身体がその変化に注目しそれを観察する準備をしていることが分かる。
2.その変化はそこにあって、赤く輝いていてまんまるい輪郭をしている物であることが分かる。
3.その物を見た人はそれを手に取りたくなるだろう、と予測できる。
4.その物はだれもがリンゴと思っている類の一つであることが分かる。
5.だれがそれを見ても「リンゴがそこにある」と言うだろうと予測できる。
6.「リンゴがそこにある」という言葉が浮かぶ。
7.私が「リンゴがそこにある」と思っている、と分かる。
8.リンゴを私が見ている、と分かる。
9.リンゴから出る赤い反射光が私の目に入ってくる、と分かる。
10.そのリンゴの存在を私がこの目でたしかに見た、と記憶する。
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光、音、触感、味、匂いなど)として存在する。たとえば、そこにまずリンゴがあって赤い反射光を出すからその赤い光は存在する。 つまり物事は、それに対して私たちの身体が反応するように存在する。たとえば、リンゴはそれをかじるとおいしそうだから、かじるとおいしそうなものとして存在する。そして私たちが自分の感覚器官で感じとっていると思い込んでいる光、音、触感、味、匂いなどの感覚情報は、それが表す物事そのもの(たとえばおいしそうなリンゴ)としてまず認知され、そう認知されるから感覚情報(リンゴから出る反射
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「おいしそうなリンゴがある→リンゴに手を伸ばす」ではなくて、(拙稿の見解によれば)「手が伸びていく→その先においしそうなリンゴがある」という順です。
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認知科学の常識では、物事はまず認知され、その認知された物事に反応して行動が引き起こされることになっています。これはふつうの常識と同じですね。しかし拙稿の見解では、実際の認知プロセスが進む順序は逆です。
拙稿の見解によれば、人間が物事を認知するプロセスは認知→行動の順ではなくて、運動反射→認知の順であると考えます。認知の前段階としてまず無意識の身体運動反応が起こり、これが後段階として意味記憶を引き起こして言語を伴う認知の記憶を作っているという見解です。つまり、感覚器官の興奮→無意識的な身体運動反射→存在の言語的な認知、というプロセスを重視します(拙稿では、「行動」という語は議論をミスリードする危険があると考えますのでなるべく使いません)。
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