うまく仲間と共有できないような、自分だけが感じているような感覚は、気味が悪く、あってはならない、と私たちは感じる。私の身体の奥の、はっきりしないところのかすかな痛みだとか、親しいはずの人たちとどうもうまくいかないとか、そういうあるのかないのか分からない感覚は、気持ちが悪い。私の気持ちなのか、私の気持ちではないのか、よく分からないのです。それらの感覚は、それをどうすればよいのか、何を目的にしてそれを感じとればよいのか、私たちは分からない。したがって、言葉にすることができない。しかしまた、未開人と違って個人的な内面の感覚にこだわる現代人は、こういう物事も、どうも自分の気持ちだとしか思えない。
そうだとすると、はっきりと存在する現実世界と、なにか分からないもやもやとしたところが多い自分の内面との関係がまた不可解、ということになる。それから、混乱した哲学が続く。
拝読ブログ:人間の思考は、あたかも逆行するが如き感覚を伴ひつつすすむ。(夕ぐれと夜との言葉)
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